2013年01月30日
美しい風景 2013/01/30
寒さも少し和らぎ、少しばかりの柔らかな日差しが庭を照らします。
そうすると冬の厳しさに眠っていた鳥達が、僅に残った力を使い餌を獲りに来ます。
カワセミ、ビンズイ、アカゲラ、メジロ、そしてサギ。
写真は白沙村荘の池の畔に佇み、ジッと小魚を狙うアオサギ。
見事に不動の姿勢で背景に溶け込んでいます。
しかし残念な事にこの池にはあまり魚がいないのですけどね。大きい方の池でないと。
2013年01月29日
新年工事初め
2013年は橋本関雪の生誕130年にあたります。
また関雪の父である海関翁の生誕140年にもあたるので、今年開催予定の兵庫県立美術館での橋本関雪展の際には、明石との交流が捗る事でしょう。
海関翁は、播磨明石藩に仕え廃藩後は「明石郷土史」を編纂、柿本神社に明石藩の紀功碑などを建立。明石には縁の深い人物なので、一度明石で記念展でもやりたいところです。
そんな事を思いながらも、白沙村荘では先週から工事の下準備が始まりました。
件の橋本関雪展を東京と京都でもと願っていたのですが、どうやら共に開催が難しいようなので再来年の関雪没後70年に向けて自前で回顧展が出来るように施設を整えています。
また、春からは大画室の改修も始まりますので、生誕130年に相応しい慌ただしい年明けとなりました。
ともあれ漸く本来するべき仕事の道筋に、12年かかって戻れたので安堵しています。
あと2年で整えるべき物が沢山残されていますから、ギアを上げながら推し進めて行こうかと考えています。
それぞれの進捗はまたお知らせしますので、よろしくお願い致します。
また関雪の父である海関翁の生誕140年にもあたるので、今年開催予定の兵庫県立美術館での橋本関雪展の際には、明石との交流が捗る事でしょう。
海関翁は、播磨明石藩に仕え廃藩後は「明石郷土史」を編纂、柿本神社に明石藩の紀功碑などを建立。明石には縁の深い人物なので、一度明石で記念展でもやりたいところです。
そんな事を思いながらも、白沙村荘では先週から工事の下準備が始まりました。
件の橋本関雪展を東京と京都でもと願っていたのですが、どうやら共に開催が難しいようなので再来年の関雪没後70年に向けて自前で回顧展が出来るように施設を整えています。
また、春からは大画室の改修も始まりますので、生誕130年に相応しい慌ただしい年明けとなりました。
ともあれ漸く本来するべき仕事の道筋に、12年かかって戻れたので安堵しています。
あと2年で整えるべき物が沢山残されていますから、ギアを上げながら推し進めて行こうかと考えています。
それぞれの進捗はまたお知らせしますので、よろしくお願い致します。
2013年01月21日
雪景色2013 2013/01/21
2日ほど前の積雪。夜半緩やかに降り続いた雪が、朝にももう一度降って薄化粧をした山と庭の景色が良い感じでした。
ここ数年というのはあまり積雪することもなく、積もってもすぐに溶けて昼には元通りという事が多いです。
昔は毎週ドカ雪が降って、朝から雪かきというパターンもよくあったのになぁとシミジミ感じます。
写真は持仏堂の屋根越しの東山大文字(如意ヶ岳)。この時は雪が振っておらず、山影がよく見えます。
ちなみにこれが雨あがりの時だと「これが松林図屏風の景色か・・」というような靄と山影のパノラマが映し出されます。
次は節分あたりにまた雪でしょうか? 大人は嫌がりますが、子供が喜ぶので降って頂きたいものです。
Posted by ハシモトシンジ at
08:10
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2013年01月19日
2013ムーブメント 2013/01/19
週明けから工事が始まります。
何の工事かって? 新館の工事です。橋本関雪の作品を展示するもっと大きな展示室を作ろうって訳ですよ。
この計画自体、1930年頃から・・つまり関雪さんが生きていた頃からずっとあったものなんですよね。
それがようやく実現に向かうという事になりました。いやぁ良かった、良かった。
本来なら他の建造物や庭園の改修が最優先なので、この新館の工事も先送りが妥当なのですが諸事情ありまして同時に実行の運びとなりました。我ながら無茶な事してます。
現在の展示室というのは、父の代に建てたもので当初は隣に「ガーデン」と呼ばれていた宴席場と建物がありました。
大文字がよく見える位置に造られたその場所では、頻繁に宴会が行われたり夏祭りが行なわれたり・・懐かしい記憶が沢山ありますが現在は駐車場になっています。
その近くに「ギャラリー」と呼ばれていた貸し画廊があり、当時関わっていた色々な方の作品が展示されたりしていたのです。
現在でも展示室を「ギャラリー」と呼ぶのはその名残ですね。当初は本当にギャラリーだったのですから。
これらの記憶は年々薄れていましたが、やはり白沙村荘という庭園は西側から見るのがベストだという事と、寄贈や購入により収蔵点数が大幅に増えたこともありこの10数年の間ずっと新館建設の計画を練り続けていました。
それがようやく叶う訳です。まだ予断は許さないのかもしれませんが、ホッとしています。
建物の規模は324平方メートル。1階には関雪の作品を展示する150平方メートルの新展示室が造られます。
2階部分は様々な展示会やイベントの行えるような240平方メートルの大広間が造られる予定です。
庭の工事も存古楼、瑞米山、持仏堂、そして正門などの門、庭園部と工事予定が目白押しなので、ひとまずはそれらが工事中はこの新館が事業の起点となります。
新しい年、新しいムーブメント。今年は関雪生誕130年という事もあり、何かが変わって行く予感がします。
何の工事かって? 新館の工事です。橋本関雪の作品を展示するもっと大きな展示室を作ろうって訳ですよ。
この計画自体、1930年頃から・・つまり関雪さんが生きていた頃からずっとあったものなんですよね。
それがようやく実現に向かうという事になりました。いやぁ良かった、良かった。
本来なら他の建造物や庭園の改修が最優先なので、この新館の工事も先送りが妥当なのですが諸事情ありまして同時に実行の運びとなりました。我ながら無茶な事してます。
現在の展示室というのは、父の代に建てたもので当初は隣に「ガーデン」と呼ばれていた宴席場と建物がありました。
大文字がよく見える位置に造られたその場所では、頻繁に宴会が行われたり夏祭りが行なわれたり・・懐かしい記憶が沢山ありますが現在は駐車場になっています。
その近くに「ギャラリー」と呼ばれていた貸し画廊があり、当時関わっていた色々な方の作品が展示されたりしていたのです。
現在でも展示室を「ギャラリー」と呼ぶのはその名残ですね。当初は本当にギャラリーだったのですから。
これらの記憶は年々薄れていましたが、やはり白沙村荘という庭園は西側から見るのがベストだという事と、寄贈や購入により収蔵点数が大幅に増えたこともありこの10数年の間ずっと新館建設の計画を練り続けていました。
それがようやく叶う訳です。まだ予断は許さないのかもしれませんが、ホッとしています。
建物の規模は324平方メートル。1階には関雪の作品を展示する150平方メートルの新展示室が造られます。
2階部分は様々な展示会やイベントの行えるような240平方メートルの大広間が造られる予定です。
庭の工事も存古楼、瑞米山、持仏堂、そして正門などの門、庭園部と工事予定が目白押しなので、ひとまずはそれらが工事中はこの新館が事業の起点となります。
新しい年、新しいムーブメント。今年は関雪生誕130年という事もあり、何かが変わって行く予感がします。
2013年01月06日
文化財 ✕ 国際問題
新年になり、事業年度もあと3ヶ月。白沙村荘の改修を含む再生事業もいよいよ次年度から佳境に入り、大掛かりな事業が毎年のように予定されています。
大画室 存古楼の改修、主家 瑞米山の改修、正門を含む全門の改修、新館の建設などなど・・。
予定外の茶室工事で工期が大幅にズレてしまいましたが、なんとか当初の予定事業が行えるラインまで進むことが出来ました。
並行して防災と防犯の強化も行なわねばなりません。
これは今後の収蔵品などの情報開示に伴い、様々なリスクが増すことを懸念しての事です。
実際に日本の文化財については様々な事件が起こり続けています。
対馬の窃盗文化財は海外?:長崎新聞
日本への文化財窃盗旅行企図、窃盗団を検挙:永同
これ以外にも神社に対する放火未遂、寺社に関する窃盗や汚損事故など公に知らされていないトラブルも多く起こっているようです。
多分最近になって知られた神木の一件も、この流れの中に入っているのだと個人的には思います。
こちらでも相当怪しい流れで白松がやられましたので、庭持ち文化財持ちの方は本当にご用心下さい。
そんなわけで今年の抱負は「やりすぎるくらいにやる」という事で。
今まで以上に突っ走りたいと思います。
大画室 存古楼の改修、主家 瑞米山の改修、正門を含む全門の改修、新館の建設などなど・・。
予定外の茶室工事で工期が大幅にズレてしまいましたが、なんとか当初の予定事業が行えるラインまで進むことが出来ました。
並行して防災と防犯の強化も行なわねばなりません。
これは今後の収蔵品などの情報開示に伴い、様々なリスクが増すことを懸念しての事です。
実際に日本の文化財については様々な事件が起こり続けています。
対馬の窃盗文化財は海外?:長崎新聞
日本への文化財窃盗旅行企図、窃盗団を検挙:永同
これ以外にも神社に対する放火未遂、寺社に関する窃盗や汚損事故など公に知らされていないトラブルも多く起こっているようです。
多分最近になって知られた神木の一件も、この流れの中に入っているのだと個人的には思います。
こちらでも相当怪しい流れで白松がやられましたので、庭持ち文化財持ちの方は本当にご用心下さい。
そんなわけで今年の抱負は「やりすぎるくらいにやる」という事で。
今まで以上に突っ走りたいと思います。
2013年01月05日
京都 今出川通の美術館だよりリニューアル
白沙村荘 橋本関雪記念館(日本画)、北村美術館(茶道美術)、樂美術館(茶道美術)、茶道資料館(茶道美術)、堂本印象美術館(日本画)の5つの個人美術館で構成される「京都今出川通日本画・茶の湯連絡会」という会があります。
平成5年に結成されたこの会から、隔月で展示情報などを紹介する冊子が発行されていますが、平成25年1・2月号から今までの折りたたみ形式を廃して冊子形式にリニューアルをしました。
この冊子は御協力を頂いているスポンサー様の店舗、各ホテルや駅の案内所に設置されています。
もし手に入らないという場合にはそれぞれの美術館に設置されていますので、お問合せ下されば発送は可能かと思います。(要送料)
スポンサー様は以下の通り
鶴屋吉信様、一保堂茶舗様、おせんどころ田丸弥様、半兵衛麩様、福寿園様、聖護院八ツ橋総本店様、茶懐石 三友居様、香老舗 松榮堂様、京菓子司 笹屋守榮様、淡交社様、京 西陣 幸太郎の酢様、宇治 丸久小山園様、京懐石 美濃吉本店 竹茂楼様、新古美術商 善田昌運堂様、柳桜園茶舗様、京料理 てんぷら 天喜(七3つ)様、御菓子司 末富様、茶道具 みやした様、京都タカシマヤ様、京都美術倶楽部様(順不同)
一度是非お手にとって頂ければと思います。
平成5年に結成されたこの会から、隔月で展示情報などを紹介する冊子が発行されていますが、平成25年1・2月号から今までの折りたたみ形式を廃して冊子形式にリニューアルをしました。
この冊子は御協力を頂いているスポンサー様の店舗、各ホテルや駅の案内所に設置されています。
もし手に入らないという場合にはそれぞれの美術館に設置されていますので、お問合せ下されば発送は可能かと思います。(要送料)
スポンサー様は以下の通り
鶴屋吉信様、一保堂茶舗様、おせんどころ田丸弥様、半兵衛麩様、福寿園様、聖護院八ツ橋総本店様、茶懐石 三友居様、香老舗 松榮堂様、京菓子司 笹屋守榮様、淡交社様、京 西陣 幸太郎の酢様、宇治 丸久小山園様、京懐石 美濃吉本店 竹茂楼様、新古美術商 善田昌運堂様、柳桜園茶舗様、京料理 てんぷら 天喜(七3つ)様、御菓子司 末富様、茶道具 みやした様、京都タカシマヤ様、京都美術倶楽部様(順不同)
一度是非お手にとって頂ければと思います。
2013年01月03日
平成癸巳年正月三ヶ日
皆様新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今年は巳年という事で、年賀状にもニョロニョロとしたのが沢山描かれていますね。
巳の年は変化の年だそうで、今年になって色々と変わっていくのかも知れませんね。
意識とか、構造とかそんなものが緩やかなのか急なのかはともかく変化が訪れるのだと思います。
白沙村荘でもやはり今年は大きな変化を迎え始めています。詳しくはまだ言えませんが。
その詳しく言えない色々な事業というのは、実に15年以上前から存在していたものなのですが諸事情により中断していたものです。要するに先代の頃からの事業ってやつですね。出来る事は限られていますので、逆にやらなきゃいけない事だけ優先して推し進めていきたいと思います。
この巳年には関雪の「寶船」を干支色紙にしてお配りしましたが、12年前の巳年はというと父の祖供養として同じ「寶船」を作りました。
この「寶船」は関雪がヨネ夫人の3回忌を終えた頃、京都嵯峨野の天龍寺慈済院にいらした村上独譚老師に諭されて臨済宗へ宗旨変えをした際に描き送ったものです。
天龍寺の塔頭寺院は、それぞれの塔頭が七福神に対応しており慈済院は辨財天なのですね。
それで弁財船を描き、帆に辨財天の使いとされる蛇を描いています。この原本は今も慈済院に収められています。
現住職的には「独譚老師の縁のみ」なので、現在は全く関係性は無い寺院らしいんですけど。
そういう諸々の関わる「寶船」の色紙が一巡し、あぁあれから12年経ったんだなと思いつつ本年を迎えたのでした。
また次の巳年には一体何を考えているのでしょうか。今から楽しみに、12年を突っ走って行きたいと思います。
今年は巳年という事で、年賀状にもニョロニョロとしたのが沢山描かれていますね。
巳の年は変化の年だそうで、今年になって色々と変わっていくのかも知れませんね。
意識とか、構造とかそんなものが緩やかなのか急なのかはともかく変化が訪れるのだと思います。
白沙村荘でもやはり今年は大きな変化を迎え始めています。詳しくはまだ言えませんが。
その詳しく言えない色々な事業というのは、実に15年以上前から存在していたものなのですが諸事情により中断していたものです。要するに先代の頃からの事業ってやつですね。出来る事は限られていますので、逆にやらなきゃいけない事だけ優先して推し進めていきたいと思います。
この巳年には関雪の「寶船」を干支色紙にしてお配りしましたが、12年前の巳年はというと父の祖供養として同じ「寶船」を作りました。
この「寶船」は関雪がヨネ夫人の3回忌を終えた頃、京都嵯峨野の天龍寺慈済院にいらした村上独譚老師に諭されて臨済宗へ宗旨変えをした際に描き送ったものです。
天龍寺の塔頭寺院は、それぞれの塔頭が七福神に対応しており慈済院は辨財天なのですね。
それで弁財船を描き、帆に辨財天の使いとされる蛇を描いています。この原本は今も慈済院に収められています。
現住職的には「独譚老師の縁のみ」なので、現在は全く関係性は無い寺院らしいんですけど。
そういう諸々の関わる「寶船」の色紙が一巡し、あぁあれから12年経ったんだなと思いつつ本年を迎えたのでした。
また次の巳年には一体何を考えているのでしょうか。今から楽しみに、12年を突っ走って行きたいと思います。