2012年03月23日
親子のフラクタル 20120323
雨に打たれた桜の枝が、鈴なりの蕾をつけているのを見上げていると色々な思い出が頭をよぎる事がある。
これは桜のみならず、月でも海でもまたは夕焼けでも同じ事を感じるのだけれど、桜に限っては今いる小さな子供のことを考えることが多いように思う。
彼が小さくて、まだサクラと言えずに「サァクワァ」と言っていた頃。
肩車をしながらその花弁を見せながら歩いていたことがあって、今でもその頃が頭にあるので同じように接してしまいがちです。
しかし桜がドンドンと膨らんでいくように、小さな存在もまた大きさを増してゆくもの。
そんな赤ん坊であった彼も、この春から小学生となります。
おそらく気づけば中学、高校・・と進み、そのうち人の親となっているのかもしれません。
それにつれ、親との距離というものはドンドン離れていくのでしょう。
離れたからといって責務が無くなるわけではなく、だからこそ増えていくのではないかと思います。
格好悪い親父の背中を通り過ぎる彼に見せるわけにはいかないので、今から益々頑張らないといけない事になります。
教えてやれること、教えてもらえること。今しか無い大事な一瞬を、少しでも分かち合えれば。
その時間が何より大切な宝物になるということは、自分自身でよく知っています。
もらった大事な物を、また次世代に分け与えながら続けることが出来れば最高じゃないですか。
とりあえずは明日の卒園式を全うしたいと思います。
これは桜のみならず、月でも海でもまたは夕焼けでも同じ事を感じるのだけれど、桜に限っては今いる小さな子供のことを考えることが多いように思う。
彼が小さくて、まだサクラと言えずに「サァクワァ」と言っていた頃。
肩車をしながらその花弁を見せながら歩いていたことがあって、今でもその頃が頭にあるので同じように接してしまいがちです。
しかし桜がドンドンと膨らんでいくように、小さな存在もまた大きさを増してゆくもの。
そんな赤ん坊であった彼も、この春から小学生となります。
おそらく気づけば中学、高校・・と進み、そのうち人の親となっているのかもしれません。
それにつれ、親との距離というものはドンドン離れていくのでしょう。
離れたからといって責務が無くなるわけではなく、だからこそ増えていくのではないかと思います。
格好悪い親父の背中を通り過ぎる彼に見せるわけにはいかないので、今から益々頑張らないといけない事になります。
教えてやれること、教えてもらえること。今しか無い大事な一瞬を、少しでも分かち合えれば。
その時間が何より大切な宝物になるということは、自分自身でよく知っています。
もらった大事な物を、また次世代に分け与えながら続けることが出来れば最高じゃないですか。
とりあえずは明日の卒園式を全うしたいと思います。