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Posted by 京つう運営事務局 at

2011年02月21日

失われる家の歴史と文化

関雪の作品を通じて、様々な人と出会い話す機会が増えました。

増えましたと言っても、父が病気で臥せっていたので24歳の頃からその辺りの関連は代行として担っていましたから昨日今日のことという訳ではありませんが。



大体の場合は大きな事業に成功した家があり、その後を託された人達が作品の処遇に困りながら相談をするというケースが多く見られます。

他の話ならばともかくとして、関雪の事ですから捨ておくわけにも行きません。
出来る限り真面目に考えるのですがすべてを引き受けるわけにもいかないので、さてどうしようかとなる訳です。



寄贈という選択肢が一番なのですが、そうすると「損をした」と考える人もいます。
それは心外なことなので、中々一番には勧められないのですが作品のことを考えるとベストな方法だと思います。

白沙村荘にという訳ではなく、他の美術館にという事でも構わないと思います。



しかし、他の美術館・・特に国公立の美術館に入った場合は関雪という画家の作品が定期的に展示される可能性もあまり高くはありません。保存という面での安心はありますが、寄贈者の受け口が非常に限定されてしまうような気がします。


なので今後は白沙村荘でも十分な施設の整備を行い、受け入れの体制を整えていかないとと考えています。年々このような作品に関する相談が増える傾向にあるのではないかと思いますから。

関雪の作品は、関雪の元に。


寄贈者にそう思ってもらえて、かつ寄贈後も家同士での交流が続くように。
そんな風に持っていければすごく良いと思うのです。

絵画にしても、何にしても人と人の交わりを抜いた時に文化というものは死を迎えるものなのです。
人間同士の交流が息づくところにこそ、文化もまた生き続けるはずなのです。







  


Posted by ハシモトシンジ at 23:32Comments(0)【橋本関雪】