続・白河村荘の話

ハシモトシンジ

2012年04月20日 17:37

昨日はタイトルに「白河村荘の話」とか付けながら、具体的な話が全くなかったので反省がてら再度。


白河村荘は、関雪が晩年に構想した美術館計画の名称です。
白沙村荘自体も「しらかわむらのやしき」と読みますが、その沙を河に変えて同じように名付けたものです。

ヨネ夫人を亡くした後、昭和9年頃からこの計画は始まったようで関雪の遺稿によれば「銀閣寺の白沙村荘、明石の蟹紅鱸白荘、売布の冬花庵を財団法人として皆様に公開する」という構想であったようです。



彼が手がけた邸宅の全てと、蒐集した東西の美術品を内包した美術館。




本当にコレが実現していたのなら・・日本有数の巨大美術館となっていたのでしょう。
しかし、それを実行に移す前に関雪はこの世を去り多くの美術の名品優品は散逸の途につき、現在でも所々に「橋本関雪旧蔵品」という形で収蔵されています。

当時の関雪コレクションにおける目録を見ていくと、雪舟、雪村、蕪村、大雅などを中心とした日本の書画や王鐸、石濤、八大山人、張瑞図、倪元璐などの中国書、隋代・唐代の俑や拓本など、セザンヌ・ゴーギャン・マティスまどの洋画、藤原時代から鎌倉時代までの仏像群、藤原時代から桃山時代までの石造美術、ペルシャ・ギリシャ、中国の古陶器、インド・イランのミニアチュール等々・・。



総数にして10000点は超えていたと言われています。これらの大半は、相続による物納で文化財保護委員会に入ったり当時の好事家などの申し出によりコレクションに入り、著名な美術館にてそれとは知らされずに展示公開されたりもしています。これらの所在が明らかになる日がくれば、それはまた「関雪コレクション展」として昨日話した新しい展示室で公開していっても良いのではないかと思っています。




こういう構想自体は関雪が描いた夢の残滓であることは百も承知、今は時代が変わり逆にそういう文化中心の事業がやりにくくなっているということも十分理解しています。していますが・・やっぱり夢がないと楽しくない。そうでしょう?



先日の桜の花びらのように最後は地に落ちるのか水に流れていくのかは知りませんが、ヒラリヒラリと美しく舞えば良いじゃないですか。
大樹の先に伸びたか細い枝から離れた花弁といえど、風に舞っているその間にはまだ生命の美しさが残っている。

それが生きているという事なのだと思うのです。



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