2009年03月09日
哲学の道「関雪桜」のこと
哲学の道と呼ばれる第2疎水沿道には、桜の並木があります。この桜が植えられたのは大正11年。(寄贈は記録によると大正10年となっています。)
この桜は関雪が画家として大成した時、自分が非常に困っていた京都に来てからの数年間の食うや食わずの時期に、様々な人からの惜しみない援助により助けて頂いたことに非常な恩義を感じていたという。
元は神戸に生まれて、帰るべき家を失い漂泊の身であると思いながら暮らしていた関雪にとってよそ者であるはずの自分自身を受け入れてくれた京都の人々の心は、何にも変えてありがたかったに違いない。
そういった不特定多数の京都の人々に何か御礼がしたいので、何か良い案はないだろうかと考えていたある日に夫婦で話をしていたところ、よね夫人が「時下、世情もよろしくなく何か暗い雰囲気ですから、晴れやかになるように花を植えてはどうか。」と提案して桜を寄贈し、植樹して並木を植えることに決まったと言われています。
その後よね夫人がなくなり、その悲しみを詠んだ七言絶句詩を刻んだ石碑が昭和18年に白沙村荘の前に建てられました。
内容は以下の通りです。
<原文> 朶雲壓水一渠斜 春伴潺湲巡我家 悩殺幽人残夜夢 風々雨々不離花
<訳文> 雲のような満開の桜が疎水の上に垂れ 春は水の流れと共に我が家に巡り
来る 幽人は昨夜の夢の続きの中にいて 風につけ雨につけ花の事が頭か
ら離れないでいる
<意訳> 春になり桜の花が満開を迎える頃になると、私は毎日 妻と過ごした日々
の思い出ばかりを思い出してしまい、私はあふれる涙を止める事が出来ず
にいる。
朶雲=垂れ下がる雲=憂鬱な気分 一渠=疎水=心の溝 潺湲=水の流れ=涙が流れる様子 我家=白沙村荘 幽人=関雪 残夜夢=過去の思い出 花=桜=よね夫人
毎年咲き続ける桜。それに伴い繰り返す悲しい気持ち。
追善の意味も込め、今年も3月18日から本ブログで桜の様子を皆様にお伝えして行きたいと思います。
瑞米山 月心寺、大津大谷 走井について
生誕130年 橋本関雪展が終わって
橋本関雪大画室 存古楼改修工事 第1期終了のお知らせ
古代オリエント博物館 「古代の楽園 −神話、来世、桃源郷…−」
生誕130年 橋本関雪展@兵庫県立美術館 内覧会当日
生誕130年 橋本関雪展@図録通信販売のお知らせ
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Posted by ハシモトシンジ at 14:14│Comments(0)
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