京つう

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2012年07月21日

地に種が落ちるとき

最近になり日本文化は素晴らしいとか、もっとこの古い物を大事にしないととか言うことをよく聞く。
こんな当たり前のことを、わざわざ声を大にしていう必要があるのかとも思ったりする。

そういう風に言ってる人達は何かしらの好景気の折に見事に踊って、現在は何かに落ち着いた体の場合が多いように見えてしまう。
以前には「海外に出ろ」「株をやれ」「グローバルの時代なんだから」と周囲に喧しいくらいに言われていた時期、あれは平成で言えば9年くらいか。



今となってはそういう人の言葉を一蹴した自分の判断は間違っていなかったと思う。
正直な話、行動理念に根っこがないのだ。資格も能力も経歴も借り物のように空虚で、心に響かない薄っぺらいような印象を受けてしまう。

結局は主観の殻から全く芽も出ていない、そんな存在なんだと思う。



ここで殻と言うのは、「よくよくあなた方に言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかしもし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」という言葉による。ご存知のように聖書の言葉だ。

個人的にはキリスト教を信仰する気は無いのだけれど、途中で付け足された要らぬ文言を無視すれば聖書の言葉というのは宗教ではなく道徳であると知れる。その普遍的な教訓の部分が結構好きなのだ。




この場合の「死ななければ」「死ねば」というのは文字通りの生物的な死ではなく、精神的な「主観からの脱却」なんだと思う。
葉隠にある「武士道とは死ぬことと見つけたり」の「死ぬ」も同じ意味なんだと思う。


言い換えればこうだ。

「もしあなたが自分だけに凝り固まっているようなら、あなたの行動や人生は虚しいものとなる。しかし、もっと周囲に他人に目を向けて自分を必要としてもらえるようにすれば、あなたの人生は意味のあるものとなりきっと成功するだろう。」




主観の殻を破るのは非常に難しい。もし客観的に見えていると思っても、それは客観に基づいた主観なのかもしれない。
しかし、誤魔化しや嘘や方便、そして小利口に立ち回ろうとする保身を前提としなければ直にそれはおぼつくようになる。
誤魔化しや嘘があるから、それを欺きと見られないように立ちまわる。小利口に立ち回ろうとするから、損得にしか目が行かなくなる。



誰しもがそういう強さを持っているわけではないのは承知ながら、そういう事を心がけることが強さなのかもしれないよねと敢えて言ってみる。強さとは決して人を欺いたり害したり出来る事ではない。それは卑怯と言う。





殻の存在に気づけばいつだって殻は破ることが出来る。
周囲の存在と自分自身の現実を受け入れれば、おのずと答えは出る。

人の立場の、国籍の、性別の、年齢の如何を問わず、本来人のあるべき姿はそういうものだと思っている。



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Posted by ハシモトシンジ at 21:51│Comments(0)【勤務日誌】
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