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2012年06月11日

大阪ミナミでの痛ましい事件について

「通り魔」という言葉は、少し前まで死語のように思われていた気がします。
それが今や、様々な事件が起こるにあたって再び生きた言葉となってしまいました。

京都新聞記事


死語のように思っていた言葉について少し調べてみると、結構な頻度でこの「通り魔」と呼ばれるべき事件は起こっています。
大きなもので1981年の深川通り魔殺人から、1999年の池袋通り魔殺人までの期間が18年開いているだけで、その後は毎年のようにどこかで起こっています。

これらの事件に関しては、加害者の分析や生活背景などが取り沙汰される事が多く「幼少期に」「仕事がなく」「引きこもり」などのキーワードが大体の場合散りばめられ、ともすると同情できる部分を探すかのような内容が垂れ流される事が多く見られます。





・・・違うでしょう。一番大事なのは「この人は何故こんな事をしたのか」ではなく「なぜこの人は殺されなければならなかったのか」でしょう。



今回の件で言えば「どうしようもなくなり、死にたくなったけど死ねないから人を殺した。」という理由は、幼稚で身勝手で短絡であるという言葉以外は出てこないくらいに呆れた理由です。

人にはそれぞれに人生があって、色んな理由や生育背景などによって事情もその数だけある事でしょう。
その中にはどうしようもない事情もあるでしょう。今問題になっている生活保護も、本当に必要な人達になら制度としてはあっても当然でしょう。仕事もない、住む家もない。当然不安でしょう。



この場合考えなければいけないのは、「どのような人生を送った結果、現在の状況に行き着いたのか」という部分。
もし本当に彼の生まれた環境や両親、また人間関係の中に影響から免れることが出来ないくらいの重大なものがあったとして。
本当に上手くいくようにと、我慢も忍耐も行いながら毎日を積み重ねていたのだけれど、大きな不運に見舞われて挫折をしたのだとして。

そういう人は、最終的に自暴自棄になったとしても他人を傷つける手段を選ぶことは少ないはずです。




邪推になりますが日々を怠惰に過ごし、仕事を作業的に行うのみで、無力を感じ勉学や努力で能力を得ることをせず、人に信頼ではなく言葉で応えていたのなら。自分にも他人にも向き合うことを避けて、上手く逃げてばかりいたのなら。こういう事もするのだろうか。

最近はマヤの予言、以前はノストラダムスの大予言とかで積み重ねを放棄する人もたくさんいたので、そういう部類にも思えてしまいます。




とりあえず死にたいと思ったのなら、一回死んだ気で燃えてみせろよと言いたい。
どうせ死ぬのなら疲れた、ダルいと思う事もなく、死ぬまで頑張って踏ん張って見せればいい。燃え尽きてみせればいい。
そうすれば自分の中にある自分の邪魔をする色んな物が燃え落ちて、メラメラ燃える炎の中から新しい自分の姿が見えるはずだ。
ブスブス燻っているのが嫌なら、もう一歩踏み込んで死ぬ気で燃えてみせろ。


燃えられない不甲斐なさを社会や他人のせいにするような弱さは非常に悲しいと感じる。
二度とこんな痛ましい事が起こらないように願いを込めて。本当に。





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Posted by ハシモトシンジ at 20:01│Comments(0)【勤務日誌】
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