京つう

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2011年06月13日

多く遺された草稿達

白沙村荘(ハクサソンソウ)には結構な数の草稿が遺されています。草稿(ソウコウ)というのは一般的には下絵と言われているもので、作品を作成する際の設計図のようなものです。

小さな雛形(ヒナガタ)から始まり、草稿の原寸稿、そして変更が出たために別稿(ベッコウ)が遺され、完成したものが本稿(ホンコウ)となります。このように一つの画題で10点近くの練り直しが存在する場合もあり、本稿では解りかねるような製作者の思索の痕跡を汲み取れるのがこれらの醍醐味と言えるでしょう。




写真はおそらく大正8年前後に製作された「王昭君(オウショウクン)」の草稿。
関雪は17歳の時に行われた東宮慶事記念展覧会に同題の画を出品しており、その直後に御所に呼ばれ御前揮毫を行っています。

この一事が関雪青年のその後を決定づけた出来事であろうことは、想像に難くないのですが17歳の頃に描いた王昭君と大正期に描いたものとでは若干趣旨が違うようにも思います。




王昭君は中国4大美女の一人に数えられることもあり、そういう意味では「貴人に麗人を奉る」ような意味合いであったのかも知れません。しかし、王昭君の話では宮廷に入った際に画家に賄賂を贈らなかったために、不美人として描かれたため匈奴と和睦を図る皇帝により辺境の地に送られた不遇の美人として知られています。

これは大正当時の関雪が「おべっかを使わなかったので重用されない」と、己が不遇を嘆いているようにも見えてしまいます。それほどまでに師匠に楯突いた影響は長く関雪の画家人生に影響を落とすのです。



これら無数の草稿や別稿も、これから一つづつ展示ができるように仕立てて行こうかと考えています。
数が多いだけにすぐには全部を公開できませんが、どうぞお楽しみに。








Posted by ハシモトシンジ at 23:16│Comments(0)
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