2012年04月27日
命の価値
今日の夕刊を手に取って、またもや目眩がした。
またか、またなのか。なぜなんだと思う。コレは何なんだ。
何かと便利である社会を追求した結果がコレなのか。良い年した大人が車に乗って、次々と弱いものを轢き殺すってこんなのが先人が目指した世界なのか。自転車に乗っても問題を起こし、車に乗っては人を殺す。なんなんだコレは。
まずは責任感の欠落。自分が当たり前のように受けていた他人からの庇護を、自分がさも上手くやっていたかのような錯覚を持つ人はこうなる。自分以外の人間、特に弱い人間に気を配らない人は交通弱者にも気を配らない。
そして想像力の欠如。「こうすればこうなる」「もしこうなったら・・」等の状況の想定が極めて甘い。
なってから考えても遅いという事にすら想像が追いついていない。なんて悲しい生き物なのだろうか。
これは決して無自覚に車に乗る人だけではない問題なんだと思う。
自分が起こす行動により起こる影響や、それによって他人が被る被害みたいなものに思いが及ばない人が多くいる。
当然京都にも沢山いて、立場が強い者というのはいわばダンプか戦車にでも乗っているものなんだという想像が及ばない。
結果、「俺は俺」「私はこう思う」みたいな論理で、全体をクシャクシャにしている部分が否めない。
どうすれば良いのかと聞かれれば、乗っているその車を降りれば良いんだと言うしか無い。
乗っていれば危険が生まれるのなら、降りれば良い。ただ単純な話。
便利に慣れて降りるのを面倒臭がる人が、やはり痛ましい事故を起こすのだろう。
この例えの場合には流れる血は目に見えることはない。
これこそ悲劇ってもんじゃあないかと思うのです。
またか、またなのか。なぜなんだと思う。コレは何なんだ。
何かと便利である社会を追求した結果がコレなのか。良い年した大人が車に乗って、次々と弱いものを轢き殺すってこんなのが先人が目指した世界なのか。自転車に乗っても問題を起こし、車に乗っては人を殺す。なんなんだコレは。
まずは責任感の欠落。自分が当たり前のように受けていた他人からの庇護を、自分がさも上手くやっていたかのような錯覚を持つ人はこうなる。自分以外の人間、特に弱い人間に気を配らない人は交通弱者にも気を配らない。
そして想像力の欠如。「こうすればこうなる」「もしこうなったら・・」等の状況の想定が極めて甘い。
なってから考えても遅いという事にすら想像が追いついていない。なんて悲しい生き物なのだろうか。
これは決して無自覚に車に乗る人だけではない問題なんだと思う。
自分が起こす行動により起こる影響や、それによって他人が被る被害みたいなものに思いが及ばない人が多くいる。
当然京都にも沢山いて、立場が強い者というのはいわばダンプか戦車にでも乗っているものなんだという想像が及ばない。
結果、「俺は俺」「私はこう思う」みたいな論理で、全体をクシャクシャにしている部分が否めない。
どうすれば良いのかと聞かれれば、乗っているその車を降りれば良いんだと言うしか無い。
乗っていれば危険が生まれるのなら、降りれば良い。ただ単純な話。
便利に慣れて降りるのを面倒臭がる人が、やはり痛ましい事故を起こすのだろう。
この例えの場合には流れる血は目に見えることはない。
これこそ悲劇ってもんじゃあないかと思うのです。
2012年04月24日
内藤商店の箒
朝に道を歩くと、軽快な箒の音が辺りに響く。
サッサッサッとリズミカルな音は、言わば朝の風物詩。箒を振るのが大体は女性であります。何故かは知らないけど。
上手い人の掃除にあたると気持ちが良いのですが、時折道具も方法も間違った人がいてもどかしくなります。
多分掃除をやり慣れていないのか、小さなナイロンの箒で、歩道を一生懸命細かく掃き続けています。
「ちょっと失礼、箒をこちらに」と言いたい所ではあるけども、こちらも今から仕事なのでそのまま通過してしまう。
こういう場合、必ず三条小橋の内藤商店に行けば良いのにと思う。
例えその方が多少掃除下手でも、それを補って余りある箒の性能がカバーしてくれるのに。
あの箒を使ってしまうと、他の箒類に関する評価は安かろう悪かろうとなってしまう。でも実は他の箒が悪いのでは無い、あの箒が素晴らしすぎるのだ。
多分あの箒を作る職人さんは、掃除のやり方を熟知しているに違いない。
でなければ、あのように見事な働きをする箒は作れないはずだから。
一度お会いして、話を聞きたいと考えているのです。
サッサッサッとリズミカルな音は、言わば朝の風物詩。箒を振るのが大体は女性であります。何故かは知らないけど。
上手い人の掃除にあたると気持ちが良いのですが、時折道具も方法も間違った人がいてもどかしくなります。
多分掃除をやり慣れていないのか、小さなナイロンの箒で、歩道を一生懸命細かく掃き続けています。
「ちょっと失礼、箒をこちらに」と言いたい所ではあるけども、こちらも今から仕事なのでそのまま通過してしまう。
こういう場合、必ず三条小橋の内藤商店に行けば良いのにと思う。
例えその方が多少掃除下手でも、それを補って余りある箒の性能がカバーしてくれるのに。
あの箒を使ってしまうと、他の箒類に関する評価は安かろう悪かろうとなってしまう。でも実は他の箒が悪いのでは無い、あの箒が素晴らしすぎるのだ。
多分あの箒を作る職人さんは、掃除のやり方を熟知しているに違いない。
でなければ、あのように見事な働きをする箒は作れないはずだから。
一度お会いして、話を聞きたいと考えているのです。
2012年04月23日
一銭焼きの想い出
今日、たまたま見舞いの用があり京都市立病院に出かける事になり、近くで夕飯をという流れになりました。
あの辺りは少し西に行くと光華女子があり、ちょうど西大路の幹線沿いの近くなのでいわば「国道沿い」の地域となる場所。
基本的にはほとんど立ち寄らないような傾向のお店が多く、「かごの屋」であるとか「ザ・めし屋」だとかスタバだとかマックだとかの子供を連れて行くのがちょっとキツイお店が多いのです。
今日も子供連れだったので、少し思案した結果無難に鉄板焼きのお店に行くことにしました。
ハズレの時には救いのない分野ではありますが、韓流料理店or焼肉屋or鉄板焼きの3択になると多分これが一番融通がきく気もしましたし。
そのお店はさほど期待していなかったのにも関わらず、期待以上の内容のものを準備してくれていたので子供たちも、もちろん自分自身も有意義な感じで夕飯を済まして帰途についたのでした。
その夕飯の中で「京風ネギ焼き」というメニューをオーダーしたのですが、これはいわゆる「一銭焼き(壹錢洋食)」というヤツでモダンカテゴリーに入る感じの卵とネギたっぷりの代物でしたが、子供たちとコレを見た瞬間に小さな頃の記憶がフラッシュバックしました。
場所は先斗町。確か卯月から2軒くらい北に行った辺りだったか。
自分は8歳くらい。父と共に先斗町を訪れ、この店に腰を落ち着けながら一銭焼きを数枚平らげていたような気がする。
1枚目を食べ、2枚目にかかったあたりで父はどこかに行き、一人で父の帰りを待ちながらさっき食べた一銭焼きの事を思い出しながらお店の人に色々話しかけられていたような気がする。
その一銭焼きは、具はネギと桜えびだけ。ソースは多分ツバメあたりのサラサラした感じのウスターソースがかかっていて、今思えば子供の口には多分合わない。でも、非常にお腹が減っていたのと父が「これでも食べて待っていろ」と言った事から無心に食べていた。
一枚食べては後ろの扉を気にして、またしばらくして一枚焼いてもらってから食べ・・食べ終わっては扉を見つめていた。
ようやく帰ってきた父は、食べた枚数を聞いて少し呆れていた。場所柄それなりの値段になっていたのだろうかと思う。
そんな記憶があるものだから、甘くてベッタリしたソースのものよりはサラサラしたソースが染み込んだものが好きになった。
その頃の記憶がフト蘇り、なんだかとっても満たされた気持ちになったというだけの話。
もう30年も前の、懐かしく甘い甘い一銭焼きの想い出。
あの辺りは少し西に行くと光華女子があり、ちょうど西大路の幹線沿いの近くなのでいわば「国道沿い」の地域となる場所。
基本的にはほとんど立ち寄らないような傾向のお店が多く、「かごの屋」であるとか「ザ・めし屋」だとかスタバだとかマックだとかの子供を連れて行くのがちょっとキツイお店が多いのです。
今日も子供連れだったので、少し思案した結果無難に鉄板焼きのお店に行くことにしました。
ハズレの時には救いのない分野ではありますが、韓流料理店or焼肉屋or鉄板焼きの3択になると多分これが一番融通がきく気もしましたし。
そのお店はさほど期待していなかったのにも関わらず、期待以上の内容のものを準備してくれていたので子供たちも、もちろん自分自身も有意義な感じで夕飯を済まして帰途についたのでした。
その夕飯の中で「京風ネギ焼き」というメニューをオーダーしたのですが、これはいわゆる「一銭焼き(壹錢洋食)」というヤツでモダンカテゴリーに入る感じの卵とネギたっぷりの代物でしたが、子供たちとコレを見た瞬間に小さな頃の記憶がフラッシュバックしました。
場所は先斗町。確か卯月から2軒くらい北に行った辺りだったか。
自分は8歳くらい。父と共に先斗町を訪れ、この店に腰を落ち着けながら一銭焼きを数枚平らげていたような気がする。
1枚目を食べ、2枚目にかかったあたりで父はどこかに行き、一人で父の帰りを待ちながらさっき食べた一銭焼きの事を思い出しながらお店の人に色々話しかけられていたような気がする。
その一銭焼きは、具はネギと桜えびだけ。ソースは多分ツバメあたりのサラサラした感じのウスターソースがかかっていて、今思えば子供の口には多分合わない。でも、非常にお腹が減っていたのと父が「これでも食べて待っていろ」と言った事から無心に食べていた。
一枚食べては後ろの扉を気にして、またしばらくして一枚焼いてもらってから食べ・・食べ終わっては扉を見つめていた。
ようやく帰ってきた父は、食べた枚数を聞いて少し呆れていた。場所柄それなりの値段になっていたのだろうかと思う。
そんな記憶があるものだから、甘くてベッタリしたソースのものよりはサラサラしたソースが染み込んだものが好きになった。
その頃の記憶がフト蘇り、なんだかとっても満たされた気持ちになったというだけの話。
もう30年も前の、懐かしく甘い甘い一銭焼きの想い出。
2012年04月20日
王朝文化の華 陽明文庫名宝展
現在京都国立博物館にて開催中の特別展覧会「王朝文化の華 陽明文庫名宝展」。
連日の盛況のようで、皆様の関心の高さが伺えます。
この陽明文庫にも関雪の所蔵品が幾つかありまして、今回の展覧会には多分出ないであろうとたかを括っていましたが2点出ています。
一つは「佳人聞香」という女性を描いた作品。そしてもう一つは「秋深し」という馬の絵です。
「佳人聞香」はちょっと珍しい種類の作品で、着物が少し肌蹴た女性が香を聞く姿が描かれたなんだか艶かしい画面です。
「秋深し」は、東久邇宮家に贈られた「高原の朝」の類例的作品で、確か名古屋の古川美術館にも同様の作品が蔵されています。
当時の新聞や雑誌にもこの作品についての論評が幾つか載っていますね。
これらの作品がこのような京都を代表する大きな展覧会に出品されているということに大きな喜びを感じます。
最近京都国立博物館で関雪の作品や資料が多く出るので、本当に嬉しいです。イヤッホゥ。
今から観に行くよという方は是非チェックを。他の名品に負けない雰囲気を醸し出しているはずです。
Posted by ハシモトシンジ at
20:51
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2012年04月20日
続・白河村荘の話
昨日はタイトルに「白河村荘の話」とか付けながら、具体的な話が全くなかったので反省がてら再度。
白河村荘は、関雪が晩年に構想した美術館計画の名称です。
白沙村荘自体も「しらかわむらのやしき」と読みますが、その沙を河に変えて同じように名付けたものです。
ヨネ夫人を亡くした後、昭和9年頃からこの計画は始まったようで関雪の遺稿によれば「銀閣寺の白沙村荘、明石の蟹紅鱸白荘、売布の冬花庵を財団法人として皆様に公開する」という構想であったようです。
彼が手がけた邸宅の全てと、蒐集した東西の美術品を内包した美術館。
本当にコレが実現していたのなら・・日本有数の巨大美術館となっていたのでしょう。
しかし、それを実行に移す前に関雪はこの世を去り多くの美術の名品優品は散逸の途につき、現在でも所々に「橋本関雪旧蔵品」という形で収蔵されています。
当時の関雪コレクションにおける目録を見ていくと、雪舟、雪村、蕪村、大雅などを中心とした日本の書画や王鐸、石濤、八大山人、張瑞図、倪元璐などの中国書、隋代・唐代の俑や拓本など、セザンヌ・ゴーギャン・マティスまどの洋画、藤原時代から鎌倉時代までの仏像群、藤原時代から桃山時代までの石造美術、ペルシャ・ギリシャ、中国の古陶器、インド・イランのミニアチュール等々・・。
総数にして10000点は超えていたと言われています。これらの大半は、相続による物納で文化財保護委員会に入ったり当時の好事家などの申し出によりコレクションに入り、著名な美術館にてそれとは知らされずに展示公開されたりもしています。これらの所在が明らかになる日がくれば、それはまた「関雪コレクション展」として昨日話した新しい展示室で公開していっても良いのではないかと思っています。
こういう構想自体は関雪が描いた夢の残滓であることは百も承知、今は時代が変わり逆にそういう文化中心の事業がやりにくくなっているということも十分理解しています。していますが・・やっぱり夢がないと楽しくない。そうでしょう?
先日の桜の花びらのように最後は地に落ちるのか水に流れていくのかは知りませんが、ヒラリヒラリと美しく舞えば良いじゃないですか。
大樹の先に伸びたか細い枝から離れた花弁といえど、風に舞っているその間にはまだ生命の美しさが残っている。
それが生きているという事なのだと思うのです。
白河村荘は、関雪が晩年に構想した美術館計画の名称です。
白沙村荘自体も「しらかわむらのやしき」と読みますが、その沙を河に変えて同じように名付けたものです。
ヨネ夫人を亡くした後、昭和9年頃からこの計画は始まったようで関雪の遺稿によれば「銀閣寺の白沙村荘、明石の蟹紅鱸白荘、売布の冬花庵を財団法人として皆様に公開する」という構想であったようです。
彼が手がけた邸宅の全てと、蒐集した東西の美術品を内包した美術館。
本当にコレが実現していたのなら・・日本有数の巨大美術館となっていたのでしょう。
しかし、それを実行に移す前に関雪はこの世を去り多くの美術の名品優品は散逸の途につき、現在でも所々に「橋本関雪旧蔵品」という形で収蔵されています。
当時の関雪コレクションにおける目録を見ていくと、雪舟、雪村、蕪村、大雅などを中心とした日本の書画や王鐸、石濤、八大山人、張瑞図、倪元璐などの中国書、隋代・唐代の俑や拓本など、セザンヌ・ゴーギャン・マティスまどの洋画、藤原時代から鎌倉時代までの仏像群、藤原時代から桃山時代までの石造美術、ペルシャ・ギリシャ、中国の古陶器、インド・イランのミニアチュール等々・・。
総数にして10000点は超えていたと言われています。これらの大半は、相続による物納で文化財保護委員会に入ったり当時の好事家などの申し出によりコレクションに入り、著名な美術館にてそれとは知らされずに展示公開されたりもしています。これらの所在が明らかになる日がくれば、それはまた「関雪コレクション展」として昨日話した新しい展示室で公開していっても良いのではないかと思っています。
こういう構想自体は関雪が描いた夢の残滓であることは百も承知、今は時代が変わり逆にそういう文化中心の事業がやりにくくなっているということも十分理解しています。していますが・・やっぱり夢がないと楽しくない。そうでしょう?
先日の桜の花びらのように最後は地に落ちるのか水に流れていくのかは知りませんが、ヒラリヒラリと美しく舞えば良いじゃないですか。
大樹の先に伸びたか細い枝から離れた花弁といえど、風に舞っているその間にはまだ生命の美しさが残っている。
それが生きているという事なのだと思うのです。
2012年04月19日
白河村荘の話
白沙村荘では現在、関雪が手がけた古い建物の改修に並行して、新しい展示室の準備を進めています。
ただでさえ古い木造建築の改修には費用がかかるもので、傍らで結構な額が必要なのにもかかわらず、こんな物を作る必要があるのかと言われてしまいそうです。
別に資金が有り余っている訳ではなく、銀行から借り入れて作るのですからある意味暴挙に映るかもしれません。
しかし、この建物こそが曽祖父関雪と父歸一から引き継いだ、白沙村荘最後のワンピースなのです。
もちろんこちらは関雪や歸一のような財力や能力は無いので、同じ規模や内容での建設は不可能です。
しかし、父に命じられた「新しい展示室を作れ」という事と、関雪が最後に目指した美術館「白河村荘」の道筋をようやく辿る事が出来そうです。
果たしてどのような建物が出来上がり、どんな展示がされるのか。
まだそれは秘密。様々な制約の関係でバカでかい空間にはなりませんが、内容は面白くなる予定です。
楽しみにお待ち下さい。
ただでさえ古い木造建築の改修には費用がかかるもので、傍らで結構な額が必要なのにもかかわらず、こんな物を作る必要があるのかと言われてしまいそうです。
別に資金が有り余っている訳ではなく、銀行から借り入れて作るのですからある意味暴挙に映るかもしれません。
しかし、この建物こそが曽祖父関雪と父歸一から引き継いだ、白沙村荘最後のワンピースなのです。
もちろんこちらは関雪や歸一のような財力や能力は無いので、同じ規模や内容での建設は不可能です。
しかし、父に命じられた「新しい展示室を作れ」という事と、関雪が最後に目指した美術館「白河村荘」の道筋をようやく辿る事が出来そうです。
果たしてどのような建物が出来上がり、どんな展示がされるのか。
まだそれは秘密。様々な制約の関係でバカでかい空間にはなりませんが、内容は面白くなる予定です。
楽しみにお待ち下さい。
Posted by ハシモトシンジ at
22:17
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2012年04月19日
白いスケジュール帳
今日は何もスケジュールが入っていない。やった、久しぶりにデスクに座り未処理書類とかの整理をしよう。
そんなに時間はかからないだろうから、夕方前には一回茶室の確認にも訪れて簡単に拭き掃除でもしようか。
そうだ、庭もやや落ち葉が散らかっていたよね。ブロワーで集めて置くか。
最近バタバタしていて、庭の事があまり出来ていないから。
なんて考えていても、実際蓋を開けてみるとスケジュールギチギチなんですよね。
何でしょうか、この波状攻撃は。
結局あまり思った仕事は出来ませんでした。そんな真夏日の昼下がり。
そんなに時間はかからないだろうから、夕方前には一回茶室の確認にも訪れて簡単に拭き掃除でもしようか。
そうだ、庭もやや落ち葉が散らかっていたよね。ブロワーで集めて置くか。
最近バタバタしていて、庭の事があまり出来ていないから。
なんて考えていても、実際蓋を開けてみるとスケジュールギチギチなんですよね。
何でしょうか、この波状攻撃は。
結局あまり思った仕事は出来ませんでした。そんな真夏日の昼下がり。
2012年04月12日
花見暗転〜四条縄手の惨劇
昨日の天気が嘘のような絶好の花見日和。
空はどこまでも高く、陽射しは非常に暖かく道行く人達も非常に楽しそうです。
陽気に誘われ桜も花びらをこぼし、舞い散る花吹雪に歓声を上げる人々。
これぞ春。待ちわびた春の景色がそこにあります。
そんな気持ちを一気にどん底まで落とすような出来事が、京都の町中で白昼に起こりました。
歩行者はねられ3人死亡
詳細は一向に解りませんが春の浮かれた気分も、花に酔うような夢心地も、好天に安らぐ心も、そして3人の人命をも消し去る凄惨な事故。
加害者も被害者も面識のない人々ではありますが、とても悲しい気持ちになります。
今宵散る花には美しさよりも哀れを感じてしまうのでしょう。
亡くなった方達に静かに黙祷を捧げつつ。
空はどこまでも高く、陽射しは非常に暖かく道行く人達も非常に楽しそうです。
陽気に誘われ桜も花びらをこぼし、舞い散る花吹雪に歓声を上げる人々。
これぞ春。待ちわびた春の景色がそこにあります。
そんな気持ちを一気にどん底まで落とすような出来事が、京都の町中で白昼に起こりました。
歩行者はねられ3人死亡
詳細は一向に解りませんが春の浮かれた気分も、花に酔うような夢心地も、好天に安らぐ心も、そして3人の人命をも消し去る凄惨な事故。
加害者も被害者も面識のない人々ではありますが、とても悲しい気持ちになります。
今宵散る花には美しさよりも哀れを感じてしまうのでしょう。
亡くなった方達に静かに黙祷を捧げつつ。
2012年04月11日
桜通信2011 Final 0411
皆様おはようございます、4月11日の桜通信です。
今日は朝から雨が降り哲学の道の並木もしっとりとした良い感じになっています。
人出は今現在はほとんどありませんが、もしかしたら今日もそれなりにそぞろ歩く人が居るのかも知れません。
すっかり満開となりましたので、桜に関する更新は今日で取り敢えず終了と考えています。
他の方達がTwitterや色々なメディアで桜の様子を配信していますしね。状況はよく伝わっていると思います。
外の桜はゆっくり見ていただくとして、最終更新として中の桜を一つ。
先日の香港大学と銀閣 慈照寺研修道場の文化交流において、白沙村荘で行われた古琴と立花のデモンストレーション。
そこで慈照寺華方の珠寶さんが生けた花がこちら。非常に雰囲気のある良い立ち姿です。
残念ながら昨日までの展示で今日朝には解体されてしまうのですが・・。
それでは最後に関雪桜の詩碑の五言絶句詩を詠みながら、今年の桜通信を終了したいとおもいます。
朶雲壓水一渠斜 春伴潺湲巡我家 悩殺幽人残夜夢 風々雨々不離花 白沙村人
(興味の有る方はこちらを参照して下さい)
それではまた逢う日まで。
2012年04月09日
桜通信2012 0409
皆様こんにちは、4月9日の哲学の道 桜通信です。
とりあえず咲いてます。でもまだ7分咲きくらいです。
結構ばたついているので、今日は画像だけ上げておきます。
こんな感じです。また明日。
2012年04月07日
桜通信2012 0407
皆様こんにちは、4月7日の哲学の道 桜通信です。
今日は久しぶりに暖かく、気持ちのよい陽射しのある好天となりました。
昨日は結構な寒さであったのにもかかわらず、随分と開花が進んだようで花見の方達も喜んでいる感じです。
とりあえずは今日の写真。
段々と雲のようになって来ましたね。
桜並木はやはり水面に映すのが綺麗です。
こちらは紅シダレ。まだまだツボミです。
皆さんが喜びながら花を愛でている姿を見ていると、関雪夫妻が桜を寄贈したことも報われているなぁと感じます。
感じますが・・ 以下の人々については、花の良さを台無しにする見苦しい方々なので出来れば止めて欲しいです。
・桜の枝を折り取って持ち帰る人
・枝にぶら下がったり、根に乗りながら写真を撮る人
・歩きタバコで桜並木を歩く方
・道のどまんなかで三脚を立てている方
桜が美しいだけに、そういう見苦しい行いが一際際立ってしまうわけです。
お家から出たらちゃんとしましょうね?
では、また明日。
2012年04月06日
桜通信2012 0406
皆様こんにちは、4月6日の哲学の道 桜通信です。
今日は朝から少し雨がパラつきながらのスタートとなり、非常に不安でしたが正午からは陽射しも戻り始めました。
おそらく今日から月曜日までが花見の人出もピークになろうかと思いますので、お出かけの方は明日くらいからを見ごろに近いと考えてもらえれば結構かと思います。
現状はまだ3分咲といったところですが、夕方までにもう少し開花が進むと予想されます。
10日以降に花見を設定している方達、おめでとうございます満開でしょう。
今日から入洛の香港大学の皆様、すみませんでしたまだ咲ききっていません。
それではまた明日。
2012年04月05日
桜通信2012 0405
皆様こんにちは、4月5日の哲学の道 桜通信です。
本日も雨が続きまして、時に大きな落雷なども交えながらの悪天候でしたがなんとか桜たちは元気に開花中です。
今朝見た時よりは随分と開き始め、同じ桜並木の東と西でも明らかな差が出始めています。
とりあえず今日の様子はこちら。
ついでにレストランNOANOA前の染め分けの源平桃もツボミが膨らみ始めたのでご紹介。
紅い花の枝、白い花の枝、そして両方ある枝に斑入りの枝。
咲くと実に見事な色合いを呈する名物桃です。花見のついでにどうぞ。
ではまた明日。
2012年04月04日
桜通信2012 0404
皆様こんにちは、4月4日の哲学の道 桜通信です。
昨日の暴風雨にもめげずに桜は無事、枝に付いております。
朝から昨日の後始末に追われた今日も、風は冷たいものの昼過ぎには陽も差し始めて良い気候となりました。
これでまた少し満開へと近づくって寸法で。
今日の桜の様子はこんな感じでした。
陽が射す前に撮ったので少し暗い感じですけどね。
開花は順調、陽射しも良好。しかし気温が低いですね。
今日が4日として・・ やはり10日以降が満開となりますか。
昨年も確かダラダラと咲き続けていた気がしますが、同じ展開でしょうか。
それではまた明日。
2012年04月03日
桜通信2012 0403
皆様こんばんは、4月3日の哲学の道 桜通信です。
今日は何かと慌ただしい中で、朝から曇天が続きました。
強風に煽られながら「春の嵐だね」とかのんきに宣っていましたら、昼過ぎに恐ろしい天候となったのでした。
雷鳴が轟き、業務用のフレークアイスメーカーから出てきたみたいな大きめの霰が降り注ぎ、さらに南から吹く強風が渦を巻き・・となんというか滅多に見たことないような悪天候となったのでした。
幸いにして桜は蕾の状態でしたから散ることもなかったのですが、白沙村荘の建物の瓦や竹林の竹が風による被害を受けました。
けが人が出なかっただけでもよしとしましょうか。
そんな日にも桜は着々と開花を始めているわけで。
この写真を含め、都合10本以上の樹での開花が確認できました。
先日のアレではなく、本当の開花がスタートしたと言っても差し支えないでしょう。
お〜い、桜が咲いたぞ〜♫
・・・と喜んでいる場合ではなく、嵐による庭園の被害の後片付けしないと。
嬉しいのやら、悲しいのやら。ではまた明日。
2012年04月01日
桜通信2012 0401
皆様こんにちは、4月1日の哲学の道 桜通信です。
今日はエイプリルフールということで何かネタを考えていたのですがよい考えも無いので、嘘はつかないように心を正しく真っ直ぐ持ちながら生きたいと思います。
これ自体が嘘じゃあないかと言われれば身も蓋もないのですけどね。
昨夜は結構な冷え込みとなり、これはもしや桜も縮んでしまうのではないかと思っていましたが・・案の定でした。
それでも日中の陽射しに救われて少しは開き始めています。
風が止めばもっと開花が進むのですが・・・。もしかしたら京都で一番遅い桜になるのかも知れませんね。
それはそれで需要がありそうなので良いのですが、必要以上にズレてしまうと期待感が空振りますからお早めに。
人間も、桜も旬を過ぎてから見事に咲いたとて報われないこともありますから・・。(鏡を見つめながら溜息)
ではまた明日。
2012年04月01日
桜通信2012 0331
皆様こんばんは、もはや4月1日になりましたが一応3月31日分の哲学の道 桜通信です。
何かと慌ただしい日ではありましたが、幸い写真も取れまして余力もあるので更新します。
明日どうかな〜 と思っている人もいるかも知れませんしね。正直まだ咲いてません。
気温が急激に下がりましたものの、一応緩やかな開花は続いています。
以下、本日の桜の様子。
最後の写真は関雪桜の句碑に映る枝の影。ツボミの姿がクッキリと映し出されています。
まだ枝に付いているツボミの開花は一つも確認されていません。
咲く時は一時のような感じでの進行ですが、正直いつ咲いてもおかしくありませんし咲かなくても不思議は無いです。
取り敢えずまた明日も報告をしたいと思います。では。
Posted by ハシモトシンジ at
00:41
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