京つう

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Posted by 京つう運営事務局 at

2011年06月13日

小学館 和樂7月号 兼高かおるに学ぶ旅の教科書



小学館から発行されている和樂の7月号特集、「兼高かおるに学ぶ旅の教科書」の”庭の美”に白沙村荘が紹介されています。

紹介されているのみならず兼高かおる様にも直接お越し頂きまして、40年来の兼高かおるファンである館長が当日は終始ニコニコと微笑み続けていました。感謝します。


皆様も是非御覧下さい。立ち読みではなく・・ご購入にてよろしくお願い申し上げます。
見慣れた景色も撮り方が違うのでやたら新鮮です。


和樂7月号  


Posted by ハシモトシンジ at 15:41Comments(0)【白沙村荘】

2011年06月12日

画禅一味

父が亡くなってからここ十年くらいの間というのは、実に煩雑な日々を送っていてとにかく自己に向き合う時間が少ない時期でした。


若い時分はまぁそんな物だと思わないでも無いながら、やはり人格形成を怠るわけにもいかないので、何かしら自己と向き合い集中力を養う事を始めようかと考えたわけです。



頭のリフレッシュを兼ねて少し絵でも描いてみようかという話なんですが、実に20年ぶり位の鉛筆デッサンをして来ました。

とりあえずは楽しい。仕事じゃありませんから、描く楽しさしかありませんから。





しかし、細部を気にし始めるとキリは無く、直しては自問自答の繰り返し。作業から修業へ真っしぐら。集中力を養うには最適ですが、変な方向に行くとかなりキツイですよね。


関雪の言葉に「画禅一味」というのがありまして、元ネタは「剣禅一味」なのですが良く解ります。

対象があれどなかれど、結局は自分自身との対話なんですよね。




中々良い感触だったので、また折をみて描きに行こうかと思います。今回の成果?

・・もちろん非公開ですが何か?




  

Posted by ハシモトシンジ at 22:08Comments(0)【勤務日誌】

2011年06月09日

高台寺圓徳院茶室と白沙村荘茶室憩寂庵

ようやく改修工事も茶室の番となりました。先日に入札が終わり、今から細かな設計監理と内容の吟味が始まろうとしています。


【白沙村荘 茶室憩寂庵(ケイジャクアン)】

この茶室の小間は高台寺圓徳院の茶室を写したものであると伝えられており、中に使われている材は奈良の寺院より供されたものだということです。

幸いに数寄屋請負も遺されているので、それを基軸として補完使用材をせんたくしていくことになります。床柱など一部の材はそのまま使用です。




これが高台寺圓徳院の茶室。やっぱり少し似てますね。



まだ先の話にはなりますが、早く戻ってくるのを楽しみにしています。
その次は・・ とうとう画室の工事に着手。先は長い。

  


Posted by ハシモトシンジ at 18:38Comments(0)【白沙村荘】

2011年06月07日

日本画きのう京あす



京都日本画家協会創立70周年記念特別展

「日本画きのう京あす」

2011年7月9日(土)から8月21日(日)まで開催
【前期】7月9日(土)から7月31日(日)まで
【後期】8月3日(水)から8月21日(日)まで

場所 京都文化博物館にて

詳しくは京都文化博物館HPまで。



関雪は「牛」という作品が展示されます。
  


Posted by ハシモトシンジ at 15:59Comments(0)

2011年06月07日

平塚景堂のピアノ小品を聴く

7月8日に相国寺養源院住職、平塚景堂老師の作曲されたピアノ曲の小コンサートがあります。
内容は以下のとおり。


演奏曲目 ・バースデイソングス  ・BUSON (日本初演)

【作 曲】 平塚景堂プロフィール 

1949年東京生まれ 東京芸術大学美術学部卒 大本山相国寺塔頭養源院住職 銀閣寺執事長

【演 奏】 塩月彩華プロフィール

桐朋学園大学付属子供のための音楽教室、桐朋女子高等学校音楽科を経て,桐朋学園大学音楽学部ピアノ科卒業後パリ、エコールノルマル音楽院に留学。オーストリア、ザルツブルグ市モーツアルテム音楽院にて夏期マスタークラス参加。ディプロマ取得。2007年7月 イタリアにて Fulamura 市主催のコンサートに出演。
2008年2月 フランス、ブレスト国際ピアノコンクール リスト部門金メダル、フォーレ・ドビッシー部門、ショパン部門各々銀メダル受賞これまでに、南千勢子氏、斎木ユリ氏、斎木隆氏、ジュルメーヌ・ムニエ氏、ジャック・ルビエ氏、ジェフリー・グライス氏に師事
2009年1月 滋賀県安土町文芸セミナリオにてニューイヤーガラコンサート2009にてデビュー以来日本にて活動。出産を機に始めた子供と一緒に聴けるコンサートなどメディアに取り上げられる一方、現代音楽の新曲発表、録音なども行っている。

 日  時  2011年7月8日(金) 
 場  所  白沙村荘・存古楼にて開催
       6時より受付 6時半から演奏開始7時半演奏終了 
       7時半から9時  立食パーティー レストラン NOA NOA
 チケット  5000円(NOANOAでのパーティー費用を含んでいます)

お問い合わせは Tel 075(751)0446 または hakusasonso@gmail.com
白沙村荘事務局 担当 橋本までどうぞ


定員40名となります。お申し込みはお早めにどうぞ。

  


Posted by ハシモトシンジ at 14:44Comments(0)【催事情報】

2011年06月06日

京都新聞5/21の記事 戦争と京都美術創作のかたち

2週間ほど以前の京都新聞に関雪の記事がのっていると聞いてはいたのだけど、忙しくて中々読む暇がなく日が過ぎていました。今日はようやくその記事を読んでみたのですが・・やっぱり随所が気になる。


まぁ言わば京都新聞の山中英之さんという記者が、自身の所見を姫路市立美術館の平瀬礼太さんのコメントや多分「上海雑記」などを持ち出していることから、西原大輔さんの「橋本関雪」などを参考に書き上げたのかなと思います。だから別にこちらがアレコレと言う必要性もないのです本当はね。



今回紹介されているのは関雪の出品作としては絶筆にあたる「香妃戎装」。戦時文展の出品作で現在は衆議院に蔵されています。この作品も先からの仕分け事業により「評価額を出せ」とか言われてるみたいですが、国の所有物である美術品に評価額を出すというのも変な話です。

例えば、お寺の本尊を国宝に指定する場合に「一応、評価額を」とは言いませんよね。それ以前に評価額というのは市場に流通する際の変動的な相場ですから、普遍的でもないですしましてや国の所有であるのなら売却の可能性は殆ど無いはずですし。



本題に戻ると、やはり気になるのは関雪と戦争画の所見について。平瀬礼太さんは非常に理解をしているので安心なのですが、西原大輔さんの書籍を参考にされた場合にはこれが間違うのです。関雪は愛国の画家であり、戦争画と呼ばれるジャンルも多く遺していますがこれがどういう心情の発露なのか。まずはそれを知らねば始まりません。


これらの一連の動きは、日本という国自体ではなく昭和天皇に対する忠義の現れなのです。
読み解く鍵は関雪の作中や印顆に現れる「関雪散士」や「太平臣」などの言葉。元々橋本家は播磨明石藩に仕えた士族であるという観念は、関雪の中で非常に大きく存在していて自身が生きる時代において仕えるべき対象が存在しないということを、彼は非常に引きずっていた傾向があります。「散士」とは野に散った士だという意味で、「太平臣」もほぼ同様の意味合いとして使われています。



それを救ったのが昭和天皇。帝室技芸員に任命された事で関雪の中で「仕えるべき対象」が、明らかな形で確定したわけです。その心情の発露が「絵で奉仕することで、天皇陛下に報恩したい」という内容として行われたのです。しかし、それがあまり宜しくない事であると判断し、作品の傾向に方向修正をかけ始めたのが昭和17年頃。それまでは陛下の御為とばかりに描いたり、聖戦記念画展などを頻繁に開催しています。

実はこのあたりの内容を記した関雪自筆の原稿もあったりするのですが、外部の方はまだ見ていないので知らなくて当然。間違って当然な話なのです。





他にも、儒者を儒学者(この場合の”儒者”は幕府の役職名)と書いてみたり太平洋戦争に従軍と書いてあったりと気になる部分は沢山ありますが・・ ま、山中英之さんの個人的な所見ですから。それに新聞に正確ではない事が書いてあるわけも無いですしね。安心、安心。


  


Posted by ハシモトシンジ at 14:01Comments(2)【橋本関雪】

2011年06月04日

ノアノアのランチ&ポイントメニュー写真

ランチにも入っている「海の幸の冷製カッペリーニ 梅風味のガスパチョ仕立て」




そしてこの季節限定ハンバーグセットの「ハンバーグステーキとゴルゴンゾーラチーズのペンネ」



ハンバーグセットには「温度卵と3種のチーズのシーザーサラダ」そして食後のコーヒーが付いています。両メニューともに1500円。




お問い合わせはレストランNOANOA 075-771-4010 までどうぞ。(銀閣寺前すぐ Pアリ)
  


Posted by ハシモトシンジ at 23:53Comments(0)【勤務日誌】

2011年06月04日

白沙村荘改修@渡殿階段室屋根

白沙村荘で現在行われている改修工事「渡殿屋根解体修理」の状態がよく解る写真をご紹介します。


まずは工事開始以前の写真。まだ瓦がのった状態です。
今から剥がしていきますよ〜。



瓦がなくなりました。その下にある「土居葺き」と呼ばれる下葺が現れました。
多分この辺り、一部は100年前の物も混ざってますよ。



土居葺きを撤去すると、今度は「野地板」が現れました。
ここでも補修の跡が見えます。



そしてその下は、「裏板」「化粧垂木」の部分となります。今から傷んだ部材を交換、補修して逆手順で葺いていきます。



野地板が葺き終わりました。



そして土居葺きも完了!! 綺麗だぁ・・。



後は瓦、そして左官工事と建具で完了です。
その後はいよいよ茶室再建工事が開始です。乞うご期待!!

  


Posted by ハシモトシンジ at 16:00Comments(0)

2011年06月03日

サツキの庭

今日は庭でパーティーがありますので、朝からみんなで綺麗に掃除しながらセッティングをしています。


んんんん〜ッ綺麗な庭は気持ちが良い!!
という訳で精神的にも若干安定気味。持仏堂も開帳に向けて掃除掃除、今は松の花粉が凄いんですよ。
黄緑色の粉が降り積もってましてね、拭くと雑巾がえらい色になるんです。(※グロ注意)



そんな感じで色々やっていると、サツキが並んでいて綺麗だなと気づくわけです。
あぁ、もうそんな時期なのねはやく芽を摘みにかからないと間延びして汚いな、とか花殻が落ちる前に出来るだけ切っておかないととか。





でもまぁ綺麗だから今はいいや・・と考えつつカメラを向けてアングルを探ると





後光が差してきました。


サツキ、いやサツキ様と呼ぶべきか。なんか神々しいです。
今日の来客もこの風景を楽しんでくれれば良いのですが・・残念ながら多分大多数は無関心かも。

誰か一人でもいれば重畳なんですけどね。
  


Posted by ハシモトシンジ at 16:28Comments(0)【勤務日誌】

2011年06月02日

レストランNOANOA6月のランチ



NOANOA6月のコースランチのお知らせです。

【オードブル】
 野菜のオーブン焼き(アスパラガス、カボチャ、オクラ等々)

 ・パンが付きます

【パスタ】
 海の幸の冷製カッペリーニ 梅風味のガスパッチョ仕立て(エビ、タコ、ハモ等)

【メインディッシュ】
 京赤地鶏のソテー 玉葱と赤ワインビネガーのソース

【デザート】
 季節のデザート と コーヒーまたは紅茶

¥2500 (11:00から14:00までのオーダーです)


お問い合わせは075-771-4010 または hakusasonso@gmail.com までどうぞ。

  


Posted by ハシモトシンジ at 19:29Comments(0)【勤務日誌】

2011年06月02日

カエルの歌が聞こえてきたよ

ちょうど庭の西側に池があります。「浄土池」という大層な名前のついたこの池に、どうやら数日前からカエルさんがお出ましのようなのです。ゲェ〜コ、ゲコと心地良い鳴き声が響きわたっています。

あまりうるさくない所を見ると、まだ数匹くらいしか居ないのでしょう。
でもカエルの鳴き声は非常に微笑ましく、雨に濡れた庭にマッチしていていい感じです。


去年は庭で久しぶりにモリアオガエルを見つけて、息子に見せていましたがもしかしたら増えたのかな?





関雪がこの白沙村荘に掛けている扁額一つに「蛙吹海」というのがあります。
初めてこの場所を訪れた際に一面の水田に数えきれないほどのカエルがいて、ゲェ〜コ、ゲコと輪唱どころか共鳴・・いや共振のように響き渡っていた様子からそんな扁額をかけたようなのです。

さすがにそこまではご遠慮頂きたいのですが、できるだけ増えて生命の活力に溢れた池に戻ればいいなぁと密かに考えています。



虫嫌いの女性陣は反対していますが、そんなことは・・聞こえませんなぁ。
  


Posted by ハシモトシンジ at 14:15Comments(0)【勤務日誌】

2011年06月01日

後藤杏塢について

先日に来館された方が、山水の作品を見ながら「あなたは後藤杏塢を知っているか?」と尋ねてこられたので、とりあえずは「ハイ、関雪の弟子ですよね」と答えました。


その方は実際に面識があったようなので、あまり色々と話すことは出来なかったのですが後藤杏塢は関雪の贋作者としては著名な部類に入る画家です。しかしその辺りは非常に曖昧にされているので、現状としてどの絵がその人の手による物なのかなどは市場においては目をつむりがちになっているのが事実です。



個人的な見解で言うとおそらく「野原物」「後藤物」「奥宮物」の3種類が大きく存在しており、それぞれに得意なジャンルが違うので違う内容の作品群が混在しているような気がします。

以前は井上靖の「ある偽作家の生涯」のモデルはこの後藤杏塢であるのではないかと思い込んでいましたが、その後色々調べながら考えるにあたってどうやら野原桜州の事のようだと思い始めました。


よく「原関雪」と言われるのは、野原の原なのかもしれません。一般的にはこういう呼び方はしないのですが、画商さんがたまにそう呼ぶのは「上に橋本が付こうが後藤が付こうが関雪は関雪」という開き直りにも見えてしまします。




しかし、そのあたりの境界を把握している世代も消え始めている今、あまり放置しておくと真偽混在のまま後世に移りわからなくなってしまう可能性も非常に高いわけで。早いうちに仕分けるために材料集めと考察を重ねているのです。

後藤さんも野原さんも、画家としては天分に恵まれている人達ですから貶めるつもりはなく、ただ関雪の業績を正確に把握するためにそうである物とそうでない物を仕分ける必要があるのです。



しっかし・・ 後藤さんは山水も動物も上手いですね。知らなきゃ惑わされるわけですよ、コレは。


  


Posted by ハシモトシンジ at 23:36Comments(0)【勤務日誌】

2011年06月01日

関雪の石碑




神戸市中央区の大倉山公園内に、大きな石碑が建てられています。
側面には「遊於藝」、「橋本関雪先生之碑」と記されたこの碑は、この辺りで関雪が生まれた記念に置かれたものですが兵庫県の方に聞いてもそこにあることはあまり知られていません。

遊於藝という言葉は、論語の述而篇よりの引用で「子曰、志於道、拠於徳、依於仁、遊於藝。」の最後の部分を用いています。現在では「藝」というと技術的なもの、例えば藝能ですとか藝術と理解されますがこの場合は六芸(道徳・音楽・弓術・馬術・文学・数学)を指しています。


しかし関雪と言えば、日本画家として著名ですからこの石碑に限っては「藝術」の藝だと考えて良いのではないかと思います。


「藝の境地に遊ぶ」 この言葉は六芸や周礼を知らぬ人にも芸術家だから「藝」なのだと理解しやすく、またそれらを知る人には関雪の儒家としての側面と、六芸を士の嗜みであるという部分において関雪が持っていた矜持を窺い知ることの出来る深い言葉の選び方だと思います。



ところでその石碑のある大倉山公園にもWebがありまして、少し覗いてみますと・・大倉山公園  アレ?

全然やる気ない感じでした。見るものがほとんど無い・・。



これは知られてなくても仕方ないですなぁ。
  


Posted by ハシモトシンジ at 06:32Comments(0)【勤務日誌】