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2011年06月06日

京都新聞5/21の記事 戦争と京都美術創作のかたち

2週間ほど以前の京都新聞に関雪の記事がのっていると聞いてはいたのだけど、忙しくて中々読む暇がなく日が過ぎていました。今日はようやくその記事を読んでみたのですが・・やっぱり随所が気になる。


まぁ言わば京都新聞の山中英之さんという記者が、自身の所見を姫路市立美術館の平瀬礼太さんのコメントや多分「上海雑記」などを持ち出していることから、西原大輔さんの「橋本関雪」などを参考に書き上げたのかなと思います。だから別にこちらがアレコレと言う必要性もないのです本当はね。



今回紹介されているのは関雪の出品作としては絶筆にあたる「香妃戎装」。戦時文展の出品作で現在は衆議院に蔵されています。この作品も先からの仕分け事業により「評価額を出せ」とか言われてるみたいですが、国の所有物である美術品に評価額を出すというのも変な話です。

例えば、お寺の本尊を国宝に指定する場合に「一応、評価額を」とは言いませんよね。それ以前に評価額というのは市場に流通する際の変動的な相場ですから、普遍的でもないですしましてや国の所有であるのなら売却の可能性は殆ど無いはずですし。



本題に戻ると、やはり気になるのは関雪と戦争画の所見について。平瀬礼太さんは非常に理解をしているので安心なのですが、西原大輔さんの書籍を参考にされた場合にはこれが間違うのです。関雪は愛国の画家であり、戦争画と呼ばれるジャンルも多く遺していますがこれがどういう心情の発露なのか。まずはそれを知らねば始まりません。


これらの一連の動きは、日本という国自体ではなく昭和天皇に対する忠義の現れなのです。
読み解く鍵は関雪の作中や印顆に現れる「関雪散士」や「太平臣」などの言葉。元々橋本家は播磨明石藩に仕えた士族であるという観念は、関雪の中で非常に大きく存在していて自身が生きる時代において仕えるべき対象が存在しないということを、彼は非常に引きずっていた傾向があります。「散士」とは野に散った士だという意味で、「太平臣」もほぼ同様の意味合いとして使われています。



それを救ったのが昭和天皇。帝室技芸員に任命された事で関雪の中で「仕えるべき対象」が、明らかな形で確定したわけです。その心情の発露が「絵で奉仕することで、天皇陛下に報恩したい」という内容として行われたのです。しかし、それがあまり宜しくない事であると判断し、作品の傾向に方向修正をかけ始めたのが昭和17年頃。それまでは陛下の御為とばかりに描いたり、聖戦記念画展などを頻繁に開催しています。

実はこのあたりの内容を記した関雪自筆の原稿もあったりするのですが、外部の方はまだ見ていないので知らなくて当然。間違って当然な話なのです。





他にも、儒者を儒学者(この場合の”儒者”は幕府の役職名)と書いてみたり太平洋戦争に従軍と書いてあったりと気になる部分は沢山ありますが・・ ま、山中英之さんの個人的な所見ですから。それに新聞に正確ではない事が書いてあるわけも無いですしね。安心、安心。


  


Posted by ハシモトシンジ at 14:01Comments(2)【橋本関雪】