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2013年10月25日

瑞米山 月心寺、大津大谷 走井について



少し前に大津の月心寺を任せていた村瀬明道尼が再度の交通事故に逢い、そのまま大津には帰らず関東で没することとなりました。
明道尼は39歳の頃にも交通事故に遭っていて、その折に右半身が不自由となったので橋本家先代の歸一が生涯面倒を見るという約束をして住職となりました。

不自由な身体をおして作る精進料理や、力強く書かれた書などが人々の人気を集め「ほんまもんの庵主さん」としてよく知られていました。
ここしばらくの間、懇意にされていた方々から「庵主さんはどうされているか」との問い合わせが色々とあったのでここにも書いておこうかと思う次第です。
2013年7月に村瀬明道尼は千葉県で逝去されました。日付が曖昧なのは、亡くなった事の知らせがあったのが9月に入ってからであったからという事で正確な情報が入ってきていないからです。四十九日から逆算すると7月19日だと思うのですが。

そういう事もあるので、ちょっとだけ月心寺の事について書いておこうかと思います。

まずは月心寺開山、村上獨譚和尚。
 


この人物が橋本関雪と出会った事から月心寺の歴史は始まります。
元は嵯峨天龍寺の慈済院という塔頭に居た方で、その方面では非常に良く知られた僧であったということです。

※参考までに花園の思い出:山田無文老師第10回歴史に学ぶ人間経営学などにその名前が出ています。

和尚は第二次世界大戦において、従軍し戦没者のお弔いをするために大陸に渡っていました。
そこで捕虜として捕らえられ、しばらくは過酷な環境で過ごされたということです。
捕まった際に弟子を命がけで逃し、自分を囮にしたということですがその弟子が帰国し「あれではもう助かりますまい・・」と伝えたことから、天龍寺ではすっかり亡き者になったと思われ弔われていたようです。


それがある日ひょっこりと帰って来られました。
皆さん幽霊でも見るかのような気持ちであったことでしょう。嬉しいやら驚くやら。
ところが慈済院には既に稲葉心田和尚が代わりに入られていたので、獨譚老師は戻る場所をしばらく思案します。
そして橋本関雪がその頃には既に亡くなっている事を知ります。

出立の直前、生前の関雪に妻の墓所を寺院にするから面倒を見るようにと言われていた事を思い出し「断るつもりであったが、亡くなった方との約束を反故には出来ない」と月心寺に入られる事になったそうです。天龍寺は歴史のある本山。月心寺は元の歴史は古くとも、寺院としては個人所有の単立寺院ですから格が違いすぎるので無理もない事ですが、奇縁が両者を結びつけたのでしょう。


そういう経緯で住職となった村上獨譚和尚の元に、一人の尼僧がやって来ます。
それが村瀬明道尼です。



八幡の水月寺や大徳寺にも一時は典座として入っていた明道尼は、料理が得意で当時街道沿いの宿坊的に機能していた月心寺を訪れる来客に椀や焚き物を振舞っていたそうです。その中に白洲正子さんも居て、そこから後に「ほんまもんの精進料理を作る尼さん」として知られる彼女の名声が広がっていきました。湯木貞一さんのエピソードが広く語られますが、本来はこの白洲正子さんが始まりのはずなのですよね。エピソード自体も煮しめの人参を褒めた話から、知らない間に胡麻豆腐を褒めた話に変わっています。よっぽど胡麻豆腐に執着している人がいるのでしょう。

そうこうしている内に先に話した通り明道尼が事故に遭い、そして獨譚老師が亡くなりという事が起こり月心寺の二世として一昨年まで務めを続けてくれていました。



生前の明道尼と父に間に、私が将来僧籍を取って月心寺の住職となるという事が約束として交わされていました。
その為に小さな頃から何度か比叡山や永源寺に訪れて、作務や僧堂での事を色々覚えていました。
しかしどの僧堂で籍を取ろうかという段になって、実家の方から呼び戻されてしまいついに僧籍を取り損ねたまま現在に至ります。

かと言って約束は反故には出来ないので、僧籍を持った方の後見を受けながら、月心寺の三世として関雪夫妻と一族のお弔いをしつつ、今後の月心寺を文化財として遺していくための事業を準備しています。確かに寺院とはなりましたが、ここもまた橋本関雪の遺した文化遺産の一つですから、在るべき形でより良い状態に戻しつつ今後も保存維持を行いたいと考えています。東海道の水場として、歌仙を祀る場所として、大津絵の関係施設として今後も変わらず残したいと考えています。



以前の月心寺を知る方も、今から知る方も皆様の今後ますますのご協力やご理解を頂きたいと思います。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。  


Posted by ハシモトシンジ at 16:40Comments(1)【橋本関雪】【勤務日誌】

2013年10月23日

生誕130年 橋本関雪展が終わって



兵庫県立美術館で10月20日まで開催されていた橋本関雪展も終了して、台風の影響で降り続く雨のせいもあり少し物悲しい気分です。

前回の橋本関雪展は4年ほど前に姫路市立美術館・富山県立水墨美術館・島根県立美術館・そして大丸京都ミュージアムと巡回をして、各地へは中々行けなかった白沙村荘の関係者にとっては京都での展覧会しか観ることが出来ませんでした。そしてまた巡回展だけに代表作がややバラけてしまい残念な部分もあった事は否めません。

実は以前から今度回顧展が行われるのなら、兵庫スタートで次は東京。そしてその次は京都でやりたい。スタートは出来れば2013年頃が良いなとずっと考えていたので、今回の大規模な回顧展は非常に有難いタイミングで行われたことになります。出来れば次は没後70年の2015年・・と思うのですが、そうそう上手くは行かないと思うので時期は諦めて開催のみを追いかけることにします。東京→京都の順番は是非実現したいですね。この順番は関雪の画家としての足跡を辿っていますので。



さて、その兵庫県立美術館での関雪展ですが観に行った方からの評判は非常に良く、立地も器もそしてチョイスされた作品も良かったように思います。
いつもは展示の序列に関してフラストレーションが溜まりやすい私自身も、何のストレスもなく作品に没頭出来る感じで楽しく観ることが出来ました。
一番の関心事は照明。以前までの展覧会では映えなかった「南国」の箔や銀泥、「木蘭」の水の深さなどがキッチリと照らしだされていて非常に参考になりました。白沙村荘でも来夏に新美術館が出来ますので、是非参考にしたいところです。

会場でのトークなども大勢の方が来て下さいました。ありがとうございます。
その時に静かに鑑賞を楽しまれていた方、非常に申し訳ありませんでした。お詫び申し上げます。



今回の展覧会で、地元神戸に新たな橋本関雪ファンが増えるといいなと思います。
もちろん神戸以外にも・・です。
  


Posted by ハシモトシンジ at 13:22Comments(1)【催事情報】【橋本関雪】【勤務日誌】

2013年10月19日

橋本関雪大画室 存古楼改修工事 第1期終了のお知らせ

白沙村荘造営100周年記念事業としまして2008年より白沙村荘内の各建物、庭園などの改修工事が繰り返し行われています。
2013年現在は橋本関雪が、文展・帝展の出品作品を制作していた大画室 存古楼(ダイガシツゾンコロウ)の改修工事が行われています。

この工事は建物全体が傾斜していたものを正常な状態に戻した上で、老朽化した屋根や壁の再修復を行いつつ、永年に渡り虫害や物理的な損傷を受けた箇所の復旧を進める工事です。当然無用な配線や照明なども撤去を行いながら周辺の環境も竣工当時に近い状態へ戻していきます。



6月頃から足場がかかり、覆いがされていた存古楼ですが10月半ばから撤去工事が始まり本日より支障なく外観を見ることが出来るようになりました。







老朽化した檜皮葺を全て新しく葺き、壁も全て塗り直されたので以前にも増して美しい外観となっています。
周辺の軒下や地面の工事も予定されていますが、翌年に入ってからとなります。

事情により内部公開の行えない場合もありますが、出来る限り内部から見学をして頂けるように考えております。
皆様のご来館をお待ち申し上げますのでよろしくお願い申し上げます。

  


Posted by ハシモトシンジ at 13:30Comments(1)【橋本関雪】【勤務日誌】

2013年10月02日

古代オリエント博物館 「古代の楽園 −神話、来世、桃源郷…−」






橋本関雪コレクション「デュオニュソス祭礼図クラテル(紀元前5世紀頃)」が東京池袋の古代オリエント博物館の開館35周年秋の特別展に展示されます。

白沙村荘 橋本関雪記念館からの出品は以下の通り
・デュオニュソス祭礼図クラテル(ギリシャ陶器/紀元前5世紀頃)
・レスラー図キュリックス(ギリシャ陶器/紀元前5世紀頃)
・魚紋平皿(ギリシャ陶器/紀元前5世紀頃)
・花下遊宴図(イラン写本絵画/16世紀頃)
・酒宴図(イラン写本絵画/17世紀頃)

詳しい会期などは東京オリエント博物館公式ホームページまで。

http://aom-tokyo.com/exhibition/131005_paradise.html


関雪のギリシャ陶器の展示は大和文華館で数10年前に行われた展覧会以来、写本絵画はほとんど外部初公開ではないでしょうか。
ギリシャ陶器は関雪の集めた総数が200点あまり。写本絵画もやはり100点を超え、インド・イラン・ペルシャなどの地域のものが多彩に集められています。機会があれば全部並べてみたいものですね。


今回の会場となる池袋には関雪の子息である節哉一家が暮らしていた家があり、小さな頃によく訪ねていたので思い出深いです。
オープニングには行けませんが、会期中に伺いたいと思います。

  


Posted by ハシモトシンジ at 20:06Comments(1)【催事情報】【橋本関雪】

2013年09月15日

生誕130年 橋本関雪展@兵庫県立美術館 内覧会当日




生誕130年 橋本関雪展の内覧会に白沙村荘 橋本関雪記念館から橋本 妙館長と、橋本眞次副館長が出席してきました。













会場周辺は翌日からの開催を控え、関雪世界一色に染められていました。
会場周辺を散歩しながら看板の見学者に質問してみると・・ やはり橋本関雪を知らないそうです。

この機会に兵庫県、神戸市の方々が橋本関雪のみならず地元出身の日本画家などに興味をもたれると良いですね。








会場へ続く大階段前にはセレモニーの用意がされていました。
兵庫県立美術館の蓑 豊館長からのご挨拶と、来賓のご紹介そして白沙村荘 橋本関雪記念館から橋本 妙館長が皆様に挨拶をしていざテープカットです。






展覧会場入口では「玄猿」が皆様をお出迎え。ここからの会場風景は行ってからのお楽しみです。






屏風をメインとした代表作、初展示作品などが多数展示されている本展覧会。
正直な話をすれば橋本関雪展自体は今後も開催はされるはずですが、この規模と内容で開催できることがあるかと聞かれれば中々難しいと言うべきでしょう。

日本画が好きな方、橋本関雪を見たい方のみならず必見の展覧会と言うべきでしょう。
この機会に多くの方々が橋本関雪の世界を知って頂ければと思います。

  


Posted by ハシモトシンジ at 12:00Comments(0)【催事情報】【橋本関雪】【勤務日誌】

2013年09月13日

生誕130年 橋本関雪展@図録通信販売のお知らせ

14日から兵庫県立美術館にて開催されます生誕130年 橋本関雪展の展覧会図録の先行予約が始まりました。



画像で確認出来る通り、従来の縦型ではなく屏風の点数を考慮した横型の画面構成で作成されています。
以前までの展覧会図録では画面が縦構成のため屏風のハシが大きく切れていたり、切れないようにすると今度は画像が小さくなり過ぎたりしていました。

それにより一部の愛好者からはクレームもあったのですが、これでまずは課題が一つクリアされた状態です。
解説も作品画像の横についたので、イメージが頭に入りやすくなっているハズです。



お手元に届くのは9月20日以降となりますが、遠方の方や海外におられる方など。
または展覧会に行く前に作品の予備知識を予習する習慣のある方にお勧めします。


お申込は朝日新聞イベントプラスまで。 朝日新聞イベントプラス通信販売サイト


  


Posted by ハシモトシンジ at 04:12Comments(0)【橋本関雪】【勤務日誌】

2013年09月05日

明石天文台 長寿院橋本家墓所

明石には子午線を制定する天文台がありますが、その麓の辺りに長寿院という寺があります。

播磨明石藩にお国換えをされた松平直明公の帰依を受け栄えたこの寺には、播磨明石の藩士達が数多く眠っています。
関雪は既に廃藩置県の行われた明治の生まれなので直接的な関係は無いものの、やはり分骨を行い大津の月心寺とともに明石長寿院に墓所を造りました。



【橋本分水翁墓所】
橋本文水翁墓所。文水は播磨明石藩に儒官として登用された初めての人物であり幼名を喜和輔、通稱を長平と云った。
剣術師範も兼任し、主に山水を得意としていた。関雪の祖父にあたる。


【橋本海関翁墓所】
橋本海関翁墓所。海関は父、文水の後を継いで播磨明石藩松平家に仕えた最後の儒官となった。
幼名は武一郎、通稱は当初文水と同じ喜和輔であったが後に小六と改めた。
幕末の時代に生き、明石史の他多くの著作や翻訳を手がけた傑物。
神戸港開港以降は大陸の政治家や文人と多く交流を持つようになる。


【橋本関雪翁、ヨネ夫人墓所】
橋本関雪翁、ヨネ夫人の墓所。大津の別邸 走井(瑞米山月心寺)とこの明石の長寿院に分骨されている。
橋本家の墓所は以降走井にのみ置かれることとなり、明石にはこの三基を数えるのみであるが係累なのか橋本姓の墓も数多く見受けられる。



9月14日から開催される兵庫県立美術館での橋本関雪展。会場からは少し距離はありますが、明石駅からも近い場所ですからこの機会に墓参も計画してはいかがでしょうか。
長寿院ホームページ

また天文台の散策路付近の柿本神社には、関雪の父海関による明石藩の「紀功碑」が建立されています。
それもまた見に行って下されば幸いです。


  


Posted by ハシモトシンジ at 16:44Comments(0)【橋本関雪】【勤務日誌】

2013年09月01日

明石、そして宝塚の別邸達



数日前に兵庫県立美術館での橋本関雪展に向け、宝塚の冬花庵と明石の蟹紅鱸白荘(現在の名称は白沙荘と言います)を訪れました。

父や他の家族たちは一度ならず訪れていたこの別邸ですが、私は白沙村荘に戻ってきたのがちょうど父の病状が一番思わしくない時期だったので中国やヨーロッパなどの来訪を優先していたため遂に一緒に訪れることはありませんでした。一度加古川にて橋本関雪展が行われた際にも行くかどうかという話がありましたが、開催の皆様の手篤い歓迎があったので時間的に無理だなと諦めたのでした。


あれはちょうど阪神淡路大震災が起こった直後でしたので、両方の別邸がどうなったのかとしばしば父と話題に出しては心配しながらも行くに行けず、とうとう父が亡くなってからは白沙村荘を離れるに離れられずという状況の中で13年も経っていました。こういった家では当主の逝去は重大事であり、特に長期の病気などが重なったので様々な経済的・社会的な負担が起こりました。


そして今年に入り、兵庫県立美術館で橋本関雪展が開催されることになりました。実は内心、2013年には兵庫県下で出来れば神戸で橋本関雪の展覧会を開きたいと考えていたのでこれは非常に願ったりかなったりの出来事でした。嬉しさのあまりすぐに仏壇に向かい、父や祖父に報告をしてそれからは準備を着々と進めて行きました。
ちょうど昨年くらいからずっと続いていた相続の難事なども収まり、大津の別邸である月心寺の交代の件が持ち上がっていたとはいえ以前よりもずっと身動きが取れるようになっていたので4年前の巡回展の時よりはスムーズに仕事が出来たようにも思います。




そこでフトそれぞれの別邸達の事を思い出し、展覧会前に現地入りしておきたいという気持ちがあったので連絡を取り向かうことにしました。

明石の東二見、「蟹紅鱸白荘(カイコウロハクソウ)」は現在「白沙荘(ハクサソウ)」と呼称を変えてはいますが震災の後も修復が行われ非常に健全な状態で遺っていました。
白沙村荘に存古楼(ゾンコロウ)が出来上がるまでの期間の出品作などは、この別邸の画室で描かれていたので今も画室らしき面影のある広間が残っていて感激しました。
もちろん建具の材などもできるだけ当時のままにという配慮で、おそらくは末松棟梁の手による建具の細工が見事に残されていました。

もう一つ、宝塚の冬花庵(トウカアン)は震災の被害が非常に大きかったようです。当時瓦解していたと伝えられていた外の長塀は綺麗に修復されていましたが、内部の建物や石造美術などは崩れたり転倒している状態のものが多く見られました。しかしながら、建物についてもその状態でも取り壊しをせずに残しておかれた配慮があったので、以前の状態や周辺の環境などはパッと想像することが容易に出来たのは幸いです。関雪の美意識を識れば、彼がどこに何を置くであろうか、建物の周辺に配するものは何であろうか何処であろうかというのはすぐわかります。

三重の塔が倒壊せずに立派に聳え立っていて、これもまた嬉しい限りです。いずれ何か協力できることがあれば同じようにとは行きませんがかつてのように復元をしたい気持ちでいっぱいです。


どちらの別邸も現在の所有者の方達が、想いを持って保存されているので非常に安心をしました。
京都の白沙村荘、大津の月心寺、そして明石の蟹紅鱸白荘、宝塚の冬花庵。これらの関雪所縁の邸宅が今後も長く残ることを切に願います。


※これらの邸宅は両方共一般公開や見学などは現状受け入れておらず、従って問い合わせや要望は出来るだけ控えて頂きたいと思います。
  


Posted by ハシモトシンジ at 14:30Comments(0)【催事情報】【橋本関雪】【勤務日誌】

2013年08月25日

竹内栖鳳展

間もなく東京国立近代美術館で近代京都画壇の巨匠 竹内栖鳳さんの展覧会が開かれます。

兄妹弟子にあたる上村松園さんの展覧会の方が3年ほど前の同時期に同所で開催されていたので、次は栖鳳さんかな・・と思っていた所やはり開催が予定されていたようです。同じように京都へも巡回があるようでこちらは京都市美術館での開催が予定されているようです。


竹内栖鳳さんというと橋本関雪に関する幾つかの話がとかく囁かれ続けていて入門時の馬の話であるとか、画に対する姿勢の違いでどうとか、または席上で揶揄された関雪が気色ばんだであるとか色々な内容のものが存在しています。関雪が自ら記した竹杖会脱会に至る経緯という文書が白沙村荘には遺されていますが、本人の記したものであっても真実とは限らないので参考程度ではあります。未公開資料にあたるので詳しくは言えませんが、栖鳳さんと関雪が直接にどうこうという話ではなく間に伝聞が多く関わった結果であると伝えています。

思えば囁かれ続けている諸々の話も「◯◯が□□にこう言った」という内容は少なく、関雪自身の記した文中にも栖鳳先生がどうとかの話は全く出ていないように思います。息子同士が新聞紙上で見苦しい様を呈して「代理戦争」と煽られていましたが、あれも今思えば面白おかしい記事を作るべく伝聞でそそのかされていただけではないのかと思うのです。


ともあれ、一時代を築いた京都画壇の無数のキラ星が今ようやく回顧され、再評価を受ける時期に入っているように思います。
当然竹内栖鳳さんも、上村松園さんも改めて評価をされずとも誰もが認める日本画の大家であるのですが、次世代へその価値観や作品に漂う美意識などのディティールをキチンと伝えることが大事な事ですから。




さて次の東京は橋本関雪をと言いたいところですが・・。こればかりはこちらだけで推し進める事ができないので、関係各位の皆様へささやかな期待を送ってみることにしておきます。兵庫県立美術館での開催が上手く行けば東京開催の可能性は無くもない気がします。

どちらの展覧会も盛況であれば良い結果に繋がると信じています。




竹内栖鳳展

東京国立近代美術館 2013年9月3日から10月14日まで
京都市美術館    2013年10月22日から12月1日まで

橋本関雪展

兵庫県立美術館 2013年9月14日から10月20日まで

  


Posted by ハシモトシンジ at 17:01Comments(0)【橋本関雪】

2013年08月04日

生誕130年 橋本関雪展@兵庫県立美術館



【橋本関雪展告知】

生誕130年 橋本関雪展

兵庫県ゆかりの日本画家、橋本関雪(1883-1945)の生誕130年を記念して開催します。

橋本関雪は1883(明治16)年、旧明石藩の藩儒であった橋本海関を父として現在の神戸市中央区に生まれました。
12歳から日本画を学び、1903(明治36)年竹内栖鳳の画塾竹杖会に入門、研鑽を積みました。
1908(明治41)年の第2回文展で初入選その後入選、受賞を重ね、官展の代表的画家としての地位を確立します。
漢学の深い教養にもとづき中国の古典に取材した作品を発表したほか、石濤や八大山人などの明末清初の文人画家にも傾倒し、新南画と呼ばれる新たな領域を拓きました。また動物画にも卓越した力量を発揮、多くの名作を残しています。

1977(昭和52)年に兵庫県立近代美術館で開催して以来、36年ぶりとなるこのたびの回顧展では、初期から晩年までの代表作約70点を展示、大正から昭和前期にかけて日本の絵画界の第一線で活躍した関雪の絵画の真髄に迫ります。

開催日時 平成25年9月14日(土)〜10月20日(日)
     午前10時より午後6時まで(金・土曜日は午後8時まで)
     開催期間中休館日 9月17日(火)、24日(火)、30日(月)

開催場所 兵庫県立美術館 神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1

観覧料金 一般 1300(1100)円、大学生 900(700)円、高校生・65歳以上 650(550)円、中学生以下無料



【関連行事のお知らせ】

「橋本関雪の南画における西洋と中国」

稲賀繁美氏(国際日本文化研究センター教授) 
9月22日(日) 午後2時より90分 
(聴講無料、定員250名、要展覧会チケット)


「関雪の絵を見る」

橋本眞次(白沙村荘 橋本関雪記念館副館長) 
10月6日(日) 午後2時より60分 
(聴講無料、要展覧会チケット)


「学芸員による解説」 

9月21日(土)、10月5日(土)、10月19日(土)
午後4時より約45分 (聴講無料、定員100名、要展覧会チケット)


「ミュージアムボランティアによる解説会」 

会期中の毎週日曜日 午前11時より約15分 
(聴講無料、定員100名、要展覧会チケット)


「おやこ解説会」 
9月28日(土) 午後1時30分より午後2時まで 
(聴講無料、定員100名、要展覧会チケット)


こどものイベント「日本画を描こう!」

10月12日(土) 午前10時〜午後3時
要事前申込 こどものイベント係 TEL 078-262-0908
  


Posted by ハシモトシンジ at 14:15Comments(0)【橋本関雪】

2013年06月02日

橋本関雪 大画室存古楼改修工事②

白沙村荘造営100周年記念事業の計画報告です。


現在は橋本関雪が官展の出品作を制作していた画室、存古楼(ゾンコロウ)の改修工事が進んでいます。




格天井の一部を抜いて長物でジャッキアップしています。












この工事は建物の傾きを修正するために、梁を持ち上げて水平に戻す為に行なわれています。
同時に天井部の構造支持や配線の敷き直しなども行なわれいます。


また工事が進む段階で、お知らせをしたいと思います。

  


Posted by ハシモトシンジ at 14:14Comments(1)【橋本関雪】

2013年05月29日

白沙村荘 橋本関雪記念館6月の展示

「水」をテーマとした作品を中心に展示を行います。

【展示作品】


・琵琶行 着彩別稿 1910年 6曲屏風(うち5扇)

・朧月 1943年頃 着彩絹本軸装
・摘瓜図部分稿 猫 1925年 裏箔絹本軸装
・風雨帰帆 1921年頃 絹本着彩軸装
・月下帰帆 1944年 紙本淡彩軸装
・郊邨漁夫 1915年 絹本着彩軸装
・山中花開 1918年 紙本淡彩軸装
・狗子図 1943年 紙本淡彩軸装
・水郷図 1922年 絹本着彩軸装
・柳蔭洗馬 1911年 絹本着彩軸装
・達磨大師像 制作年代不明 関雪父 海関遺愛品 木彫朱漆塗
・池大雅 山水扇面画冊 欠損部関雪補筆
・蝸牛写生
・猿猴写生
・草稿巻 進馬図部分
・「風月壺中」錢痩鐵筆 紙本横扁額捲
・「東山艸堂」神我唐熊筆 紙本横扁額捲



  


Posted by ハシモトシンジ at 14:20Comments(0)【橋本関雪】

2013年04月29日

橋本関雪作品 簡易鑑定受付開始のお知らせ

白沙村荘 橋本関雪記念館ではメール等による写真での橋本関雪作品の簡易鑑定を行います。
この簡易鑑定は、メールまたは郵送にて頂きました写真から作品の制作年代や画題などを見るものです。

簡易鑑定を希望される方は、メールまたは郵送にて写真をお送り下さい。
お送り頂きたい内容の詳細は以下のとおりです。

(必要写真)作品全体の写真/署名を含む落款部/作品内に書かれた人物や動物などの部分写真(全体を数分割する感じです)/箱のある場合は箱書きの表面と裏面/裏面の捺印部分拡大


鑑定は橋本関雪曾孫、橋本眞次が行います。拝見の後、簡単な所見をお送り致します。
例えば「これって関雪かな?」または「何が描いてあるのかよくわからないので知りたい」などの内容でも結構です。


E-mailの場合は hashimotoshinjikyoto@gmail.com
郵送の場合は 606-8406 京都市左京区浄土寺石橋町37 白沙村荘 橋本関雪記念館 橋本眞次宛 までどうぞ。


皆様がお持ちの関雪作品を拝見出来るのを楽しみにお待ち申し上げます。




[ご注意] 
※ 真贋については証明証による本鑑定にて別途行いますので、簡易鑑定では真贋判定を証明する書式などは発行出来ません。
※ 讃の読み下しなども別途依頼によるものなので簡易鑑定では受け付けておりません。

上記の本鑑定内容につきましては hakusasonso@gmail.com まで別途お尋ね下さいませ。
  


Posted by ハシモトシンジ at 18:40Comments(0)【橋本関雪】

2013年03月08日

春季展 「よね忌の茶道具」

白沙村荘 橋本関雪記念館では、2013年3月11日(月)から5月12日(日)までの期間、春季展を開催致します。

毎年春の時期は橋本関雪夫人よねの回忌に合わせまして、夫妻所縁の茶道具と掛け物を展示しております。


【展示作品】
・配所 1911年 絹本着彩六曲屏風
・緋桃白鵞 1924年 絹本着彩軸装
・柳堤春霞 1911年 絹本着彩軸装
・梅花図 1793年 両峯道人筆 紙本墨彩軸装
・桑木繊手 1911年 絹本着彩軸装
・朧月 1943年 絹本着彩軸装 [初展示]
・聖観音像 1933年 紙本金彩軸装
・涅槃図 大津絵 1700〜1800年頃 紙本着彩軸装[初展示]
・月下帰帆 1938年 絹本淡彩軸装
・観世音像 1933年 紙本淡彩軸装
・天女地紋丸釜 1938年 図=橋本関雪 作 =大西浄長
・白樂茶碗 銘 「春霞」「薫風」 図=橋本関雪 作=関雪夫人よね
・遺筆写薄茶器 「夢」「露」 作=11代中村宗哲
・絵御本 月にホトトギス水指 図=橋本関雪 作=清水六兵衛
・伊羅保菓子鉢 図=橋本関雪 作=華中亭道八

他 茶碗、水指、経筒釜など



休館日=なし
開館時間=10時より17時まで(入館受付は16時30分まで)
入館料=一般 800円 学生 500円
※入館料には庭園と展示室の見学が含まれています。  


Posted by ハシモトシンジ at 19:25Comments(1)【橋本関雪】

2013年02月13日

橋本関雪生誕130年展@足立美術館

島根県安来市の足立美術館において、「橋本関雪生誕130年展」が2013年3月1日(金)から5月31日(金)まで開催されます。
確か以前は生誕125年展を開催されたと思いますが、早5年経ちましたか早いものです。

この「橋本関雪生誕130年展」は、足立美術館の所蔵品のみで構成されていますがコレと並行して現在兵庫県立美術館でも「橋本関雪生誕130年展」が秋に開催予定です。内容は相当に違うものになるので、日本画好きの方は両方どうぞ。

以下、展覧会の前説。


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生誕130年 橋本関雪
四条派の写生に南画の写意を重ねた孤高の世界

確かな画技と深い教養を持ち、明治末から昭和初期の日本画壇で活躍した橋本関雪(1883~1945)。神戸に生まれ、儒学者の父から幼い頃より漢学を学んだ関雪は、そのかたわら絵の才能を発揮しました。京都の伝統的な四条派を学び、一時は京都画壇の重鎮、竹内栖鳳に入門。後に師を離れ、孤高の中でその天分を大きく伸ばしました。
四条派を基礎としながらも、作品の多くは中国の古典、文学に想を得たものであり、憧れていた中国へは生涯に60回以上も訪れています。大陸の風土に触れ、さらに研究を深め、高い精神性を示す新南画とよばれる独自の画境を築きました。
昭和に入ると、動物画に多くの名品を残しています。関雪が描く動物画は鋭い観察眼で動物の仕草や特徴をとらえただけではなく、生気にあふれ、その表情からは気高さや思慮深さまで伝わります。
本展では、関雪の生誕130年を記念し、関雪芸術のひとつの到達点といえる動物画を中心に展観いたします。画壇に確かな足跡を刻んだ関雪芸術の世界をご覧ください。

<主な出品作品>
「遅日」「富貴草図」「雨後之朝」「秋圃」「猿」「玄猿白鶴図」「夏夕」「唐犬図」

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春秋2回も関雪の展覧会があるなんて、何とも嬉しい話ではありませんか。
これは次の2015年、橋本関雪没後70年に向けて白沙村荘 橋本関雪記念館も頑張って動かないといけませんね。



  


Posted by ハシモトシンジ at 12:08Comments(0)【橋本関雪】

2012年10月07日

平成癸巳(25)年干支色紙販売のお知らせ




橋 本 関 雪 筆  寶船(たからぶね)


大晦日の夜には、寶船を描いた紙を枕の下に敷いて寝れば良き初夢を得ることが出来るという、いわゆる験担ぎが流行していました。

「長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな(なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな)」という回文をそこに書き足して、元日から数日の間に良い夢を見れば成功。初夢を見なかった、または悪い夢であった場合には、その紙を折って寶船を作り、川に流してからもう一度同じように紙を枕の下に・・という事をして験直しをします。

江戸に流行りそうな風習ではありますが、出典自体は結構古く室町時代の頃には「初夢」の記載を見ることができます。初夢といえば一般的には寶船よりは一富士二鷹三茄子が有名ですが、これは諸説ありますが大体は富士を不死(長生)、鷹を高(増収)、茄子を成(成功)に掛けたものと言われています。


寶船は文字通りに財を運んでくる存在として、絵によっては七福神を乗せてやってくる縁起の良いものとされています。

この作品は、関雪が妻であるヨネ夫人の死後禅宗へと改修を行い、後に関雪の菩提寺 大津逢坂山の月心寺住職となった村上獨譚老師が当時住職を務めていた、京都嵐山の天龍寺慈済院に収められています。天龍寺はそれぞれの塔頭に七福神を祀っており、慈済院は弁財天を祀る塔頭となります。

慈済院に祀られている弁財天と、当時海運の主力であった「弁財船」をかけて、大きく張った帆に蛇の絵を描いたのでしょう。弁財船は文字通り富を運ぶ船であり、蛇は弁財天の使いとしてよく知られています。

昭和10年頃 作品寸法274・0 ✕ 244・0 cm
京都嵐山 天龍寺慈済院蔵


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今年も橋本関雪の作品を、白沙村荘 橋本関雪記念館にて干支色紙として販売致します。
巳年にちなんで、帆に大きく巳が描かれた寶船(弁財船)を金地にて仕上げました。

価格は1枚3150円。売上は白沙村荘の庭園の維持管理にあてられます。

お問合せ、ご購入の際には hakusasonso@gmail.comまたは075-751-0446までどうぞ。

  


Posted by ハシモトシンジ at 17:54Comments(1)【橋本関雪】

2012年08月14日

関雪コレクションの行方

とある国の、とある国立美術館の東洋美術の学芸員の方からメールが届きました。


その内容はというと、「この写真の仏像、関雪のじゃね?」(※実際はもっと丁寧です)

幸いなことに、私の頭の中にはそれらの写真資料と目録のデータが入っていたので「あぁ、あれか」みたいになりました。
しかしながら、ある程度の所在がわかっているもののそれが”どこに”と言えば解らない事も多いわけで、こういった問い合わせがてらの情報提供は非常にありがたいのです。Heel hartelijk bedankt.

ついでなので、情報提供をお願いしておくことにします。

【関雪コレクションの情報求む】
橋本関雪の旧蔵品(絵画、書、仏像など)の所在をご存知の方、またはお持ちの方はお知らせ下さい。
橋本関雪の作品そのものの情報でも結構です。
(現在特に「摘瓜図双幅」、「霧(リスの絵)」、「髪(2人の妓生)」、「銀雪呈瑞(叭々鳥が11匹のもの)」を探しています。)


I'm looking for the whereabouts of the collection of KANSETSU.
Please provide information to this address. →hakusasonso@gmail.com Hashimoto SHINJI




橋本関雪が生涯に渡り集め続けたコレクションも、少数の国内美術館に流れたものを除いては中々確認が取りにくい状態です。
総数で20,000点以上と言われた仏像、俑、拓本、書画、洋画、磁器などの多くは来歴もわからないままどこかに眠っているのでしょう。

ちなみに今回見つかたのは、平安時代の阿弥陀如来坐像で久安2年頃のもの。源貞包に関係するもののようです。
当時はそんなものが180近くあったわけですから、こりゃまぁ凄い話です。
  


Posted by ハシモトシンジ at 15:22Comments(0)【橋本関雪】

2012年07月17日

郭巨山にちなんで




今年の祇園祭の一番くじが「郭巨山」でありましたので、それにちなんで橋本関雪の「郭巨」をご紹介。
これは古代中国の二十四孝と呼ばれる考を尽くした人物を題材とした作品で、3幅対となっています。

描写の方式が西洋の宗教画を彷彿とさせる雰囲気を持ち、左に郭巨。右に幼子を抱いたその妻。
そして中央に土中から出た金の釜が描かれています。



と言ってもストーリーを知らないとさっぱりわからないので、一応解説をしておきます。



郭巨図 大正8(1919)年 橋本関雪筆


郭巨(カクキョ)は二十四孝の一人。貧しい暮らしながら、母に母子の孝養を尽くしたことで知られている。

郭巨の妻に子供が産まれ、3歳になった頃に郭巨の母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えていた。母を心配した郭巨が妻に「母が食事を孫に分けているが、我が家は貧しく十分な量の食事がとれていない。このままではとても無理だ。もし夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。ここはこの子を埋めて母を養うことにしよう」と言った。

妻は悲嘆に暮れたが、夫の命には従う他なく、3歳の子を連れて埋めに行く。郭巨が涙を流しながら地面を少し掘ると、黄金の釜が出て、その釜に文字が書いてあった。「孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない」。

郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、子供と一緒に家に帰ってさらに母に孝行を尽くした。





とても良い話です。孝行には色々種類がありますが、今も昔も母親に尽くす事が最上とされています。
儒教的な思想ではありますが、普遍的な母と子の愛情について説いているのだと思います。

でも父親も大事にしましょうね。(と一応言っておきます)


  


Posted by ハシモトシンジ at 22:33Comments(0)【橋本関雪】

2012年06月03日

蛍の季節



水無月に入り、少しばかり蒸し暑さも感じられ始めると「あぁ、そろそろ梅雨に入るかな」と思います。

湿り気に誘われるようにヘビも顔を出し始め、虫たちも俄然その勢力を増してくるのです。
蚊も出始めて、そろそろ蚊取り線香とキンカンが必須アイテムとなるのですよ。


甲虫類はもう少し先の話しながら、そういう時期になると毎年「そろそろかなぁ」と待ち遠しくなるのです。
何がかと問われると、そりゃあ蛍がそろそろ舞い始めるのではないかと思っている訳です。蛍。



やっぱり綺麗ですから、あの光をジイッと見ているとなんだか過去も未来もどうでも良くなってしまい、時間も空間も溶けて行きながら自分自身が闇に溶けてしまって、その中から視界だけを蛍の放つルシフェリンの明滅に開いているような。そんな錯覚におそわれるのです。




関雪も幾つかの蛍を描いていますが、これは白沙村荘に所蔵されている色紙大の作品。




ゲンジボタルが川べりの草に止まってゆっくりと光っている情景です。
関西在住の方はやや早く、関東在住の方はゆっくりとした明滅に脳内補正しながら見て下さい。


秘密の穴場はどんな具合かな〜 見に行きたいなぁ。


  


Posted by ハシモトシンジ at 19:20Comments(0)【橋本関雪】

2011年09月30日

「霜猿」が2ヶ所で出ています

橋本関雪と言えば猿。一般的にはそう考えられています。

クロテナガザルを描いた「玄猿」、白いニホンザルやシロテテナガザルを描いた「霜猿」、その他ニホンザルも多く描き遺しています。
「上から順に黒、白、赤が良ぇんやで」とか言われると「ハハァ、なんだか樂茶碗みたいですねぇ」と言うしかないのですが。



なんにせよ関雪の猿は人気が高い。

現在は岡崎の京都国立近代美術館のコレクションギャラリーにて「霜猿」が。
滋賀の木下美術館でも「霜猿」が出ています。



かたや白いニホンザル。かたやシロテテナガザルですが機会があれば見に行って下さい。


猿ではありませんが明石の文化博物館でも関雪が出ています。



よろしく、よろしくお願い申し上げます。  


Posted by ハシモトシンジ at 15:03Comments(0)【橋本関雪】